土津神社

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概要・歴史・観光・見所

土津神社(猪苗代湖)概要: 土津神社は福島県耶麻郡猪苗代町見祢山境内に建立されている土津神社霊神之碑に鎮座している神社です。土津神社の創建は会津藩初代藩主保科正之が「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」との遺言により自らの埋葬地を猪苗代湖が一望できる磐梯山麓に決めていたことから翌、寛文12年(1672)に正之が死去すると二代藩主保科正経は遺言に従い社殿を造営したのが始まりとされます。

保科正之は神道に通じ吉川惟足に師事、ト部家神道を学び「土津」という霊号を与えられたことから、社号として「土津神社」と名付けられ、初代藩主を祭る神社でさらに境内は会津藩の本城である鶴ヶ城(会津若松市)から見て北東方向に当たる事から、鶴ヶ城の鬼門鎮守としての役割を持った事から歴代会津藩主から崇敬庇護され、社殿の造営や祭祀などは藩費から賄われ社運も隆盛しました。

土津神社は日光東照宮(栃木県日光市)を模した壮麗な社殿が造営され、鶴ヶ城から境内へと続く参道(街道)も整備されていましたが慶応4年(1868)の会津戦争(戊辰戦争)の兵火により社殿の多くが焼失しています。会津戦争の敗戦により会津藩が廃藩となり斗南藩(青森県むつ市)に移封されると御神体も遷され明治4年(1871)に廃藩置県で斗南藩が廃藩になると多くの会津人達は故郷である会津に戻り御神体は磐椅神社に祀られました。

明治7年(1874)に土津神社再建の機運が高まり明治13年(1880)に社殿が再建され御神体も遷されています。猪苗代町出身の野口英世も篤く信仰し小学校時代から参拝していたそうです。

土津神社境内には社殿の他に亀石に乗った石造の顕彰碑(高さ5.45m日本最大とされる。)や保科正之公墳墓などがあり風致に満ちています(初代以外の藩主は会津若松市東山にある会津藩主松平家墓所にあります)。

案内板によると「 会津藩祖・保科正之公を祀り、延宝3年(1675年)に造営された神社。その豪華絢爛な様式は日光東照宮にも比されたと言われています。惜しくも戊辰戦争の戦火に遭消失してしまいましたが、明治13年(1880年)に再建され現在に至っています。保科正之は、徳川二代将軍秀忠の子として慶長16年(1611年)に生まれ四代将軍家綱の後見役として20年間幕政の実権を握るとともに会津藩の好学・尚武の藩風を築いた名君と敬われています。 猪苗代町 」とあります。

土津神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は三間社神明造り、銅板葺き。祭神:会津藩初代藩主保科正之。

土津神社の文化財
・ 太刀 銘吉房−国指定重要文化財
・ 会津藩主松平家墓所(奥の院:保科正之墓所)−国指定史跡
・ 絹本著色土津神社霊神画像(9幅)-狩野探幽など狩野派-福島県指定文化財
・ 太刀(銘陸奥大掾 三善長道)−福島県指定文化財
・ 太刀・刀(6口)−福島県指定文化財
・ 土津霊神之碑−山崎闇斎の撰−猪苗代町指定文化財(建造物)
・ 保科正之公墳墓−石造六角形−猪苗代町指定史跡
・ 土津神社堺石−猪苗代町指定文化財(建造物)
・ (伝)空海筆慶額−猪苗代町指定文化財(工芸品)

土津神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 日本史跡大辞典-株式会社日本図書センター
・ 現地案内板-猪苗代町
・ 現地案内板(由緒)-土津神社
・ 現地案内板-野口英世博士生誕のふるさとづくり推進委員会


土津神社:ストリートビュー

土津神社:社殿・境内・写真

土津神社境内正面に設けられた石造社号標と燈篭
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土津神社真っ白な鳥居 土津神社参道の砂利と石燈篭 土津神社参道石段から見上げた拝殿 土津神社本殿と石造玉垣


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