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二本松城 |
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| [ 付近地図: 福島県二本松市 ]・[ 二本松市:歴史・観光・見所 ] |
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二本松城概要: 二本松城は嘉吉年間(1441〜1444)に奥州探題となった畠山満泰がの築城しました。畠山氏は土着し二本松氏を名乗り140年に渡って周辺を支配しますが、天正14年(1586)に伊達政宗と敵対した事で落城しています。伊達氏は一時支配し、二本松城には重臣の片倉景綱や伊達成実などが入り重要視しますが豊臣秀吉による奥州仕置きにより米沢城(山形県米沢市)から岩出山城(宮城県大崎市岩出山)へ居城を替えられた事でこの地を去ります。その後は蒲生氏、上杉氏、加藤氏と短期間に領主が変わり寛永20年(1643)からは丹羽氏が10万700石で入封します。丹羽氏は織田信長の家臣として台頭し123万石の大大名になった名門でしたが、血筋や石高の高さから豊臣秀吉や徳川家康に疎まれ石高が大幅に減らされました。しかし、信長の主要家臣の中で大名として残った家は丹羽氏以外なくある種の処世術があったのかも知れません。丹羽氏は二本松城に入ると城郭の拡張をはじめ大隣寺や二本松神社、奥州街道の整備など城下町の建設に尽力を尽くし明治維新を迎えます。戊辰戦争では白石城(宮城県白石市)で調印された奥羽越列藩同盟に参加した為、二本松城は東北における主戦場の1つなり周辺で激戦が繰り広げられ二本松少年隊など悲劇も生まれました。結局二本松城は落城、ほとんどの建物は焼失し新政府軍に降伏しています。廃城後は残った建物や石垣など破棄され一時荒廃しますが現在は城跡が「霞ケ城公園」として整備され、昭和57年に箕輪門が復元され、平成5年からは本丸の石垣が復元されています。日本100名城。国指定史跡。
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