大鳥城(福島市)概要: 大鳥城は中世に築城された山城(標高130m、東西1300m、南北500m)で、源義経に忠誠を尽くした佐藤氏の居城でした。義経が平泉(岩手県平泉町)から平家追討の兵を挙げてから佐藤継信、忠信の兄弟は家臣となり多くの戦に随行し功をあげ、特に継信は屋島の合戦で義経に向かって放たれた矢を身を持ってかばった為戦死、忠信は源頼朝の放った義経追討軍と戦い、自ら義経と名乗り敵を引き付け戦死したと伝えられています。
父である佐藤基治、長男前信も文治5年(1189)に発生した奥州合戦の際、大鳥城や石那坂で頼朝軍を迎え撃ちますが敗戦を重ね同年に大鳥城は落城しています。近くにある天王寺は、この兵火により焼失したと伝えられています。又、医王寺は佐藤家の菩提寺とされ、境内には佐藤継信、忠信兄弟の墓碑が建立されています。
大鳥城は山頂付近の本丸を中心に一ノ砦、二ノ砦、三ノ砦、四ノ砦とあったようで現在でもそれらの郭の形状や「明池の跡(あけち=空地:本丸前にあり武者溜のような空間)」、「矢庫の跡(武器等の貯蔵庫、面積375坪)」、「土塁の跡」、「空堀の跡(高さ約10m、幅約5m)」、「西水の手」などの遺構が散在しています。本丸跡には当時大森城の鎮守社であった大鳥神社の小祠や大鳥城誌が刻まれた石碑などがあり周辺は公園(舘の山公園)として整備されています。
大鳥城:上空画像
【 参考:サイト 】
・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 日本の名城・古城辞典-株式会社TBSブリタニカ
・ 現地案内板-飯坂町史跡保存会
・ 現地案内板-福島飯坂ライオンズクラブ
|
|