満願寺(福島市)概要: 黒厳山満願寺は福島県福島市黒岩字上ノ町に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。満願寺は案内板によると「"黒岩の虚空蔵様"で親しまれているこの地は、阿武隈川に臨む起伏に富んだ小丘地で樹木の種類も多く満願寺・虚空蔵堂を中心に静寂な天地を形成していて、昔から仏道修業の地に選ばれてきました。
天台宗だったこの寺が臨済宗妙心寺派に替わったのは、江戸時代の初めです。虚空蔵堂は寛永11(1634)年、時の領主上杉定勝を大檀那に仰ぎ、西根堰開削にあたって心願したという信達二郡の代官古河善兵衛が小檀那となって再建したものであることが現存する軒札によって知られます。
虚空蔵様は、丑寅虚空蔵ともいわれ"十三詣り"の聖地として子供の成長と学業成就を祈る庶民の信仰を集めてきました。また、堀田公や板倉公など代々の福島藩主からも崇敬されて寺領が認められてきました。藩主から寄進された香炉や絵馬などが寺宝として残されており、信者が寄進した銅鐘は国の重要美術品に認定されています。
かつて寺の住職や学僧たちが勤行した裏山の清浄嶺には十六羅漢の石像が配置されていて、ここからの自然の眺めも極めて変化に富んでいます。また、阿武隈川に面した南の斜面は、当地方としては冬季も珍しく温暖で、シラカシ、ツバキ、アオキなど暖地を好む常緑広葉樹の群生がみられます。寺と虚空蔵信仰とが一体となって織りなしてきた数々の史跡と山水相和して変化に富んだ境域が長く保存されるよう、ここに指定しました。 福島市教育委員会 」とあります。
満願寺山門は江戸時代中期の宝暦2年(1752)に造営されたもので、切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門形式、黄檗五世高泉の書「K巌山」の山号額が掲げられています。満願寺観音堂は江戸時代中期の元禄年間(1688〜1703年)に造営されたもので、木造平屋建て、宝形造、鉄板葺、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り。
本尊の如意輪観世音菩薩は吉良上野介の正室 梅嶺院(米沢藩2代藩主上杉定勝の娘 上杉富子)の持仏だったとされ当地を訪れた際は参拝したそうです。
満願寺虚空蔵堂は江戸時代初期の寛永11年(1634)に造営されたもので、木造平屋建て、宝形造、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り、木部朱塗り。鐘楼に吊り下げられている「いぼなしの銅鐘」は貴重な事から昭和19年(1944)に国認定重要美術品(工芸品)に認定されています。満願寺寺域全体が昭和41年(1966)に福島市指定史跡及び名勝に指定されています。
信夫新西国三十三観音霊場第十三番札所(札所本尊:如意輪観世音菩薩・御詠歌:何事も 満る願いの 寺なれば 仏の誓い すえ守るなり)。山号:黒厳山。寺号:満願寺。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:虚空蔵菩薩。
満願寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-福島市教育委員会
・ 現地案内板-ディスカバー・マイカントリー 福島信夫ライオンズクラブ
・ 現地案内板-黒厳山満願寺
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