桑折西山城

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桑折西山城:歴史・観光・見所
桑折西山城概要: 西山城の築城は文治5年(1189)に奥州合戦の功により常陸入道念西(鎌倉時代の御家人で、伊達家の祖とされる伊達朝宗とも云われています)が伊達郡を与えられこの地に居を構えた事が始まりとされます。応永年間(1394〜1427)、伊達政宗(9代伊達家当主)は関東公方足利満兼と対立し「伊達政宗の乱」と呼ばれる争乱には西山城も舞台になったと推定されています(政宗が立て籠もった赤館が西山城とされています)。政宗は現在の山形県置賜郡周辺へも侵攻し伊達家の基礎を固めた事から「伊達家中興の祖」とも呼ばれました。天文元年(1532)に伊達稙宗が居館を梁川城から西山城に移したことで新たな本拠として城郭が大改修され現在に見られる規模となりました。天文11年(1542)になると稙宗と嫡子である晴宗との間に確執が起こり、家臣や周囲の大名を巻き込む内乱と発展し世に言う「天文の乱」が勃発します。この内乱は実に7年間も続き西山城も何度も戦場となりました。天文17年(1548)に室町幕府の介入を受け西山城は破棄され、稙宗は丸森城(宮城県丸森町)へ隠居、晴宗は米沢城(山形県米沢市)へ居館を遷す事になりました。江戸時代に入った延宝8年(1680)には本多忠国が15万石でこの地に配されると西山城西館を居館として築城しますが2年後に姫路に転封になった為、完成はせず再び廃城となりました。西山城は標高193.1m高館山の山頂付近に築かれた中世の山城で、東西880m、南北570mの城域があり頂上部の本丸を中心に中館、西館の3郭で構成されていました。麓に流れる産ヶ沢川を天然の外堀とし各郭は深い空堀と土塁で囲い入口は虎口、要所に石垣を設けて防御の要としていました。西山城は羽州街道と奥州街道が交わる交通の要所で天然の要害でもあった為、戊辰戦争時でも伊達軍の陣が敷かれるなど歴史的意義も深く平成2年(1990)に国指定史跡となっています。
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