いわき市: 磐城平城

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概要・歴史・観光・見所
磐城平城(いわき市)概要: 中世まで平一帯は岩城氏が当地し大館に居を構えていましたが、慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の合戦時に血縁関係のある佐竹氏と同調して東西に中立の立場を取った事で改易(後に亀田藩(秋田県由利本荘市岩城亀田)2万石に移封)させられます。慶長7年(1602)に同じく関ヶ原の戦いで東軍に与し、伏見城攻防戦で討死し大功のあった鳥居元忠の跡を継いだ鳥居忠正が10万石で入封、磐城平藩を立藩し現在地に磐城平城を築きました。磐城平城は外様大名だった伊達家(仙台藩)や相馬家(中村藩)を抑える役目をもっていた事から、本丸には三階櫓が築かれ、城郭全体では櫓が13、城門が12という規模を誇っていました。特に城下を正面とする南面に設けられた三階櫓は、高さ四丈三尺余(約13m)、約6m四方、二重三階、八棟櫓は三丈四尺余り(約10m)、二重三階、入母屋や千鳥破風など合わせて8ツの棟がある意匠に富んだもので「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われ、市民からも慕われていました。慶長10年(1605)に忠正は山形城(山形県山形市)へ転封になりましたが、築城工事は続けられ完成までに12年の歳月と巨費がかけられたそうです。以後は内藤氏(7万石)、井上氏(6万石)、安藤氏(5万石)と藩主が代わり安藤氏の時代に白石城(宮城県白石市)で調印された奥羽越列藩同盟に参加し、明治政府軍と対峙、敗戦を重ねた為、自ら自ら城に火を放ち敗走し、維新後に廃城となりました。

現在の磐城平城の城跡は敷地も民間に払い下げられ、宅地化し石垣や土塁の一部が遺構として残るだけですが、内堀(丹後沢)の一部が現存し、案内板によると「 平城は、1603年(慶長8年)鳥居忠正公が築城しました。丹後沢はその内堀として築かれましたが、大雨が降って一夜のうちに内堀の堰が崩れてしまったということが三度も続きました。そこで、菅波村(現平菅波)の箱崎丹後という人が人柱になり、これを完成することができたことから、その功績を称え命名されたといわれています。・・・(後略)現在は、丹後沢後援の一部に当時の面影をのこしています。」とあります。又、数棟の城門が払い下げられたものの、現存が確認出来るものは民家に移築された掻槌門(切妻、桟瓦葺き、一間一戸、高麗門、扉には戊辰戦争時の銃弾の痕)のみとなっています。石垣の一部が名称「磐城平城跡塗師櫓石垣」として平成13年(2009)にいわき市指定史跡に指定されています。

磐城平城:写真

磐城平城
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