二本柳宿(二本松市)概要: 二本柳宿は奥州街道の宿場町として慶長3年(1598)に成立しました。宿場町の開宿に当たっては、上杉景勝(鶴ヶ城の城主)の家臣である安江五郎左衛門と石栗勘解由が指導し渋川平右エ門によって開設されました。江戸時代に入り正式に奥州街道が開設されると引き続き二本柳宿も宿場町として認められましたが、本陣が置かれなかった為、2軒の問屋が中心的な役割を担っていたようです。戊辰戦争の際には周辺で戦闘が行ったようで宿場外れの街道沿いには犠牲者に墓碑(戦士七人之墓)が建立されています(二本松城の攻防戦の拠点になったとも)。現在も落ち着いた町並みが残されていますが、多くの家屋は明治時代の大火によって焼失している為、その後に再建された建物によって構成されています。町並みの突き当りに境内を構えている円東寺は大同2年(807)に徳一大師よって創建されたと伝わる古刹で山門は景観に大きく寄与しています。
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