白河市: 丹羽長重公霊廟

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丹羽長重公霊廟
丹羽長重公霊廟
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概要・歴史・観光・見所
丹羽長重公霊廟(白河市)概要: 案内板によると「 丹羽長重は、織田信長の家臣丹羽長秀の嫡子で、越前・若狭など123万石の大名であったが、前田利長と争い、所領を没収された。慶長8年、徳川家康より常陸古渡に1万石を与えられ、元和8年に棚倉藩5万石、そして寛永4年白河藩の成立とともに10万石で入封した。長重は、小峰城の改修、町割りの整備など現在の白河の町並みの基礎を築いたが、寛永14年閏3月4日、江戸桜田上屋敷で没した。享年67歳。遺体は現在地に埋葬され、塔身4.27メートルの宝篋印塔が建てられた。法名「大隣寺殿前参議三品傑俊浄英大居士」。霊廟は、天保7年に建立された。 白河市教育委員会 」とあります。丹羽長重は織田信長の家臣団の中でも大きな影響力を持ち織田家四天王の1人と称されていました。本能寺の変の後早くから早く豊臣秀吉に組し120万石を越える大大名に成長しましたが、大きな影響力を持っていたが故に秀吉から敵視されるようになり、佐々成政追討の際家臣の一部が軍律に背いたとを責められ若狭一国の15万石に減封させられます。その後、九州征伐でも同様の理由から4万石へ、小田原の陣では功をあげ15万石、関ヶ原の合戦時には前田家と対峙した事により一時改易させられます。この様に大きく石高が増減しながら生きながらえた家系も珍しく織田家四天王の中で大名として明治維新を迎えたのは丹羽家だけでした。霊廟は天保7年(1836)に再建されたもので入母屋、銅板葺(元檜皮葺)、桁行4間、梁間2間、江戸時代後期の霊廟建築の遺構として貴重なことから昭和39年(1964)、白河市指定文化財に指定されています。宝篋印塔は同じ円明寺境内に建立されている松平清照墓、松平直矩墓、松平基知墓と共に「白河藩大名家墓所」として白河市指定史跡に指定されています。
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