岳温泉(二本松市)概要: 岳温泉(福島県二本松市)の開湯は不詳ですが伝承によると平安時代初期、坂上田村麻呂が東夷東征の際発見したのが始まりとされます。
一方、相応寺の由緒によると、大同年間(806〜810年)に徳一大師が巡錫で当地を訪れた際、薬師如来から流れ落ちる源泉で猟師やイノシシが傷を癒しているのを発見したとあります。
記録的には岳温泉神社の前身だと思われる小結温泉神が貞観5年(863)に従五位に列した事が日本三代実録で記載されている事から少なくとも800年代には温泉が発見され、温泉神が祀られていたと思われます。
当初は鉄山の麓にあり小規模なものでしたが江戸時代に入ると二本松藩(藩庁:二本松城)が温泉街を開発し藩主の御殿湯も設けられました。
開発が進むと全国的にも知名度が上がり水戸藩の藩主となった徳川光圀も寛永15年(1638)と元禄11年(1698)に岳温泉を訪れており「安達岳の湯守にあたふ風外山の奥にかかる男をみちのくの二本松なら又も近平」の狂歌を残しています。
文政7年(1824)、豪雨により山津波が発生し多くの湯屋と共に200人を超える犠牲者を出しました。二本松藩は現地での再建を諦め十文字に温泉地を移すと再び御殿や温泉神社などが造営され、嘉永5年(1852)に編纂された「諸国温泉効能鑑」では全国温泉番付東前頭2枚目になるなど脅威的に発展しました(東前頭2枚目は東北地方では第一位)。
慶応4年(1867)、戊辰戦争が起こり新政府軍が進軍してくると、当地が敵地の軍事的拠点になるを恐れすべての建物が焼き払われ、明治3年(1870)、改めて深堀村に温泉地が移されました。
二本松藩の庇護も無くなり湯屋も9軒と往時の繁栄は見られませんでしたが周辺住民からは愛され親しみのある温泉地だったようです。明治36年(1903)の火災により多くの建物が焼失し温泉地の再建が難しくなった事で、明治39年(1906)に岳に温泉地が移され昭和30年(1955)には国民保養温泉に指定されました。
岳温泉の泉質: 単純酸性温泉
岳温泉の適応症: 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
岳温泉の泉質別適応症: 慢性皮膚病
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