治陸寺(二本松市)概要: 木幡山治陸寺は福島県二本松市木幡字山本に境内を構えている天台宗の寺院で、古は隠津島神社の別当寺院でした。平安時代後期に発生した前九年合戦の時、源頼義、義家父子が苦戦している時、山頂に降った雪が源氏の白幡のように見えた為、敵方である安倍貞任、宗任軍は援軍が来たと勘違いし軍を引き戻した事から、この山号を「木幡山」、隠津島神社の別当寺だった当寺を"陸奥を治める"ことから治陸寺と名付けられました。
隠津島神社は延喜式神名帳に記載された式内社だった事もあり広く信仰を集め、歴代領主からも崇敬され、社領など様々な寄進をしていましたが、天正13年(1585)に伊達政宗の焼き討ちで多くの堂宇、寺宝、記録を焼失しています。その後、二本松藩(藩庁:二本松城)の藩主となった丹羽氏が復興に勤め、千手観音像の寄進や観音堂、社殿の造営をしています。
明治初頭に発令された神仏分離令により隠津島神社と分離し、神社の御本尊だった千手観音を治陸寺に移されています。境内にある弁財宮は平安時代初期の大同年間(806〜809年)に創建されたとされ、本尊の木造彩色弁財天坐像(室町時代作)は二本松市(旧東和町)指定文化財に指定されています。
安達三十三観音霊場第1番札所(札所本尊:千手観世音菩薩・御詠歌:遥々と のぼりて拝む 小幡山 御法の花も ひらくなるらん)。山号:木幡山。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
治陸寺の文化財
・ 木造阿弥陀如来坐像−鎌倉時代、寄木造、漆箔押定印−福島県指定文化財
・ 木造彩色千手観音菩薩立像−明暦元年、総高317p−二本松市指定文化財
・ 木造彩色弁才天坐像−室町時代、総高84p、像高34p−二本松市指定文化財
・ 千手観音菩薩立像・弁才天坐像版木、縦98p、横49.5p−二本松市指定文化財
治陸寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-東和町教育委員会
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