白虎隊自刃の地(飯盛山・会津若松市)概要: 白虎隊自刃の地は白虎隊の墓より僅かに下った場所にあります。この場所が白虎隊が最期にたどり着いた場所で、ここから鶴ヶ城(会津若松城)が炎上するのを見て自刃を決めました。この場所からは会津若松市中心部が一望でき当時を思い起こすことが出来ます。
白虎隊自刃の地は案内板によると「 戸ノ口原の戦に利あらず白虎隊士20名が西軍の追撃を受けながらやむなく戸ノ口洞穴をくぐり、この地に辿り着いた時は鶴ヶ城附近の侍屋敷が大火災を起し、天守閣は炎と黒煙に包まれており、主君のもとに馳せ帰るべき最後の望みを失われた。最早や落城は目前に迫る吾等君国に殉ずるはこの機なり、と全員遥かにお城に拝し従容として自刃し相果てた聖地である。」とあります。諸説ありますが一般的に実際に自刃して果てたのは16名で3名が戦死(遅れて来て自刃した説もある)、1名が自刃したものの命を取り留めています(飯沼貞雄は首を切り重症でしたが印出新蔵の妻ハツなどに助けられ寿命を全うしています)。
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