旧滝沢本陣(会津若松市)概要: 旧滝沢本陣(横山家住宅)は飯盛山の麓(福島県会津若松市一箕町大字八幡字滝沢)、旧白河街道(会津街道:鶴ヶ城と小峰城(栃木県白河市)の城下を結ぶ街道)に設けられた施設で会津藩主の参勤交代に利用されました。
延宝年間(1673〜1680年)に滝沢組近郷11ヵ村郷頭の横山家が本陣を任されるようになり参勤交代や藩内の巡視、土津神社(会津藩初代藩主保科正之が祭神として祀られてる)の参拝時の休息所などに利用されてました。
戊辰戦争では鶴ヶ城(会津若松城)と滝沢峠を結ぶ戦略的拠点となり当時の藩主だった松平容保が白虎隊を率いて出陣した場所でも知られ、座敷には弾痕や刀傷があるなど戦闘の激しさが見ることが出来ます。
現在も旧滝沢本陣の跡地には茅葺屋根、書院造りの母屋(延宝6年:1678年建築、木造平屋建て、西面寄棟、裏面切妻、桁行20.1m、梁間7.6m)を始め御入御門(切妻、茅葺、一間一戸)、本陣(文化文政期に増築、御座の間(床の間、棚付)、御次の間)、名子屋(木造平屋建て、寄棟、茅葺、外壁は真壁造土壁鏝押え、腰壁は板張り、身分が低い人物が利用した為、天井と畳無し)などほぼ当時の姿を留めています。
旧滝沢本陣横山家住宅は建築的、当時の交通史的、歴史的にも大変貴重なことから昭和46年(1971)に国指定重要文化財に昭和45年(1970)に敷地全体が国指定史跡に指定されています。
旧滝沢本陣:上空画像
【 参考:サイト 】
・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 日本の城下町2[東北(二)]-株式会社ぎょうせい
・ 日本史跡大辞典1-株式会社日本図書センター
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会
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