天寧寺町土塁(鶴ヶ城)

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概要・歴史・観光・見所
天寧寺町土塁(鶴ヶ城)概要: 天寧寺町土塁は福島県会津若松市天寧寺町土塁(鶴ヶ城)花春町に位置している鶴ヶ城(若松城)の外堀内側に設けられた土塁跡です。鶴ヶ城(若松城)の外堀内側の土塁は高さ4〜6m、下幅15〜25mとされ惣構を構成する重要な防御施設でしたが、戊辰戦争(会津戦争)で会津藩が敗北すると、順次破却、さらに市街化整備などによって姿を消し、現在は天寧寺町土塁が唯一の遺構とされます。案内板によると「 この土塁は、蒲生氏郷が会津に入部し、文禄元年(1592年)若松城の改築に着手した際に築造されたとされ、若松城の追手として最重要地点であった。また、外郭と内郭を区画した若松城の土塁の遺構で、市内に現存するものは、わずかであり貴重なものである。今回、「甲賀町口門跡」、「天寧寺町土塁」、「三の丸堀跡」の三ヶ所が国指定史跡若松城跡として追加指定を受けたものである。 会津若松市教育委員会 」とあります。天寧寺町土塁は平成5年(1993)に若松城跡として国指定史跡に追加指定されています。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会

天寧寺町土塁(鶴ヶ城):写真

天寧寺町土塁(鶴ヶ城)
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