会津若松市: 宝積寺

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概要・歴史・観光・見所

宝積寺(会津若松市)概要: 如意輪山宝積寺は福島県会津若松市宝積寺(会津若松市)花見ケ丘3丁目に境内を構えている曹洞宗の寺院です。宝積寺の創建は南朝暦:正平9年/北朝暦:文和3年(1354)に中世以降長く会津地方を支配した芦名家の6代目当主芦名盛員の継室である笹谷御前により小田山中腹に観音堂を造営した事が始まりと伝えられています。南朝暦:天授5年/北朝暦:康暦元年(1379)、7代当主芦名直盛が笹谷御前を開基として宝積寺を開き、笹谷御前の戒名「宝積院殿金峯尊公大姉」から寺号を定めたとされます。一方、境内は鎌倉時代の承久4年(1221)に3代当主芦名光盛が境内背後の小田山に小田山城を築いた際の居館として整備された所とされ、一角には土塁や堀の痕跡が残されています。

江戸時代初期の会津藩(藩庁:鶴ヶ城)の藩主を担った蒲生家から庇護を受け、特に2代藩主蒲生忠郷の生母(振姫:正清院・蒲生秀行正室、徳川家康の三女)により中興されています。

藩祖となった蒲生氏郷はキリシタン大名だった事から当時の会津地方はキリシタンが比較的多かったとされ、山門付近に建立されている地蔵菩薩像の錫杖には十字架を施したような印が刻まれている事から切支丹地蔵の別称があります。

江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)の際には会津藩(藩庁:鶴ヶ城)の訓練場として利用、特に笹谷御前の墓碑の土壇は新式銃の射撃の的だったとされ、堂宇、寺宝などは兵火により焼失しています。

現在の宝積寺本堂は明治25年(1892)に再建されたもので、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。若松三十三観音(城廻り三十三観音)第6番札所。山号:如意輪山。宗派:曹洞宗。本尊:如意輪観音。

宝積寺:上空画像


宝積寺:ストリートビュー

宝積寺:写真

宝積寺
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