本光寺(会津若松市)概要: 来迎山本光寺は福島県会津若松市門田町飯寺村東に境内を構えている天台宗の寺院です。本光寺の創建は奈良時代の天平12年(740)、羽黒山東光寺(明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃寺となり、現在は羽黒山湯上神社となっています。)の末寺として当時の名僧として知られた行基菩薩によって開かれたのが始まりとされます。
その後、水害などで堂宇が大破し衰微していましたが、南北朝時代の南朝暦:康暦元/北朝暦:天授5年(1379)、芦名直盛(芦名家7代目当主)が会津に入封した際、まだ居館が完成していなかった事から本光寺に投宿し、飯を炊いて持成した故事から「飯寺」と呼ばれるようになり、地名の由来になったとされます。又、地蔵堂は居館が完成するまで境内に設けられた直盛の陣跡とされます。
本光寺は江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)に被災に堂宇が焼失、境内には奥羽越列藩同盟に参加し新政府軍と飯寺村の戦いで戦死した長岡藩士が村人によって葬られ供養塔が建立されました。さらに、昭和31年(1956)には長岡藩士山本帯刀以下43名の「長岡藩士殉節の碑」が建立されています。山号:来迎山。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
本光寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 殉節越後長岡藩士の碑-長岡藩士殉節顕彰会
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