善龍寺(会津若松市)概要: 祥雲山善龍寺は福島県会津若松市北青木に境内を構えている曹洞宗の寺院です。善龍寺の創建は保科正直が下総国多胡(現在の千葉県香取郡多古町)領主時代(天正18年:1590年〜慶長5年:1600年)に保科家の祖とされる保科正則の追善供養の為、補陀寺(群馬県安中市松井田)から広林和尚を招いて開かれたのが始まりで山号は正則の戒名「祥雲院殿」に因むものとされます。
慶長5年(1600)、跡を継いだ保科正光は関ヶ原の戦いの功により旧領である高遠藩(長野県伊那市高遠町)に移封になると、本城となる高遠城の城下町に桂泉院として境内を遷しました。寛永13年(1636)に保科正光の養子として跡を継いだ保科正之(2代将軍徳川秀忠の4男:庶子)が山形藩(山形県山形市)に移封になると、本城となる山形城の城下町に長源寺として境内を遷しました。
寛永20年(1643)に正之が会津藩(藩庁:鶴ヶ城)に移封になると再び寺号を「善龍寺」に復し花畑に境内を遷すと泉海和尚により中興されています。
正之は神道に篤く帰依していた為、正之以降の保科家、松平家は菩提寺を持たなかった事から、善龍寺は保科家の一族で会津藩の家老を歴任した西郷家が菩提寺として庇護し、寛文7年(1667)に現在地に境内を遷しています。保科家、西郷家の菩提寺として寺運が隆盛し江戸時代を通して、会津曹洞宗の僧録所を司り大きく発展しました。江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)の兵火により山門以外の堂宇は焼失し、大きな被害を遭っています。
善龍寺山門は江戸時代後期の寛政9年(1797)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、上層部真壁造り板張り、高欄付、眼象窓付、下層部大壁造り白漆喰仕上げ、竜宮門形式、江戸時代後期に建てられた竜宮門(中国風楼門)の遺構として貴重な事から平成13年(2001)に会津若松市指定文化財に指定されています。
善龍寺境内には戊辰戦争(会津戦争)の際、会津藩の家老を務めた西郷頼母と妻千重子の墓碑や、千重子の辞世の句(なよたけの風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ)を刻んだ「なよたけの碑」、西郷邸で自刃した「二十一人の墓」などが建立されています。山号:祥雲山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
善龍寺:上空画像
【 参考:サイト 】
・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-會津剣道連盟
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会
・ 現地案内板-西郷頼母墓地環境整備委員会
・ 現地案内板-会津若松市
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