阿弥陀寺(会津若松市)概要: 正覚山阿弥陀寺は福島県会津若松市七日町4丁目に境内を構えている浄土宗の寺院です。阿弥陀寺の創建は慶長8年(1603)に会津藩の藩主蒲生秀行の後ろ盾を得て良然和尚が開山したことが始まりとされます。
戊辰戦争で堂宇が消失し、明治3年(1870)には鶴ヶ城(会津若松城)の小天守にあたる「御三階」を移築し本堂とし、神仏分離令により飯盛山に鎮座していた厳島神社から大仏が移されました。
「御三階」は江戸時代に建てられた古建築物で、外観3層内部4階、寄棟、桟瓦葺き、妻入、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、式台付玄関、唐破風玄関、鶴ヶ城内にあった時は物見だけでなく重要な会議なども度々行われた重要な施設だった事から鶯張の床や引き上げ式の梯子が設けられていました。阿弥陀寺に移築の祭、会津松平家の家紋である会津三葵を掲げる本丸御殿の玄関唐破風も同時に移築され現在のような形となりました。
大仏は明治以降、阿弥陀寺の象徴的な存在でしたが太平洋戦争の際、供出され現在は台座だけとなっています。阿弥陀寺本堂は昭和30年(1955)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、眼象窓風欄間窓付。
又、阿弥陀寺境内には戊辰戦争で戦士した1300名の遺骸が埋葬され(当初は新政府により戦死者の埋葬が許されていませんでしたが、何度も交渉し会津戦争、敗戦後、5ヶ月後にようやく許され阿弥陀寺と長命寺が埋葬地として定められました)、中には会津藩家老の萱野権兵衛や新撰組三番隊隊長斎藤一(藤田五郎:蝦夷に渡った土方歳三始め新撰組の主力とは異なり会津藩と最後まで運命を共にし遺言により会津の地に葬られることになりました。)の墓があります。
阿弥陀寺の御三階は数少ない鶴ヶ城の遺構として貴重な事から平成20年(2008)に会津若松市歴史的景観指定建造物に指定されています。会津十二支守り本尊(戌亥:阿弥陀如来)。山号:正覚山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
阿弥陀寺:上空画像
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