新宮熊野神社

  福島県:歴史・観光・見所(ホーム)喜多方市:歴史・観光・見所>新宮熊野神社

概要・歴史・観光・見所

新宮熊野神社(喜多方市)概要: 新宮熊野神社は福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野に鎮座してる神社です。新宮熊野神社の創建は平安時代後期の永承6年(1051)、前九年合戦の折り源頼義、義家父子が紀州にある熊野権現に武運を祈願し見事勝利した事から、神意に感謝し天喜3年(1055)に熊野堂村(福島県会津若松市河東町熊野堂)に分霊を勧請したのが始まりとされます。

その後に出羽国(現在の東北地方の日本海側)で発生した後三年合戦の際、応徳2年(1085)に源義家が再び会津まで進軍し熊野本宮社を耶麻郡慶徳村岩沢(現在の福島県喜多方市上三宮町)、那智熊野社を耶麻郡熱塩加納村宇津野(現在の福島県喜多方市熱塩加納町)、新宮熊野社を耶麻郡慶徳村新宮(現在の福島県喜多方市慶徳町)にそれぞれ祭るように命じました。

その後、当社の地に熊野本宮社と那智熊野社が合祀され、最盛期には300を越える末社があり神職には100余人が置かれ奥州の熊野と呼ばれていたそうです。平安時代末期、越後平家の一族である城長茂が木曽義仲の追討に失敗し会津郡に侵攻、しかし、奥州藤原氏の抵抗によりこれも失敗し本領のある越後国(現在の新潟県)に撤退、これらの兵火により多くの社殿が焼失し衰微しました。

新宮熊野神社は鎌倉時代に入ると、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の庇護により社領200町歩の安堵や文殊菩薩像の寄進などを行い再興、さらに、長く会津地方を統治した芦名氏の一族である新宮氏が、新宮熊野神社の隣地に居城となる新宮城を築いた事から篤く帰依されました。

室町時代に入ると新宮氏は本系筋の芦名氏とは対立するようになり、応永27年(1420)に芦名盛政によって新宮城は落城、最後の城主である新宮盛俊も討死した事から新宮熊野神社もこの兵火で大きな被害を受けたと思われます。

新宮熊野神社は庇護者を失った事で周辺領主から略奪、横領が続き、さらに戦国時代の戦乱も相まって荒廃しましたが、安土桃山時代の鶴ヶ城の城主蒲生秀行は社領50石を安堵し保護に努めています。

慶長16年(1611)には大地震が発生したことで多くの建物が倒壊し、慶長19年(1614)に旧材を利用して現在の長床が再建されています。寛永20年(1643)に保科正之が領主(会津藩主)となると崇敬社となり社殿の再建や代参でも参拝など再び広く信仰されることとなります。

古くから神仏習合し別当寺院である新宮寺や奥之院である神宮寺が祭祀を司っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式的には仏教色が一掃され、県社に列しました。新宮熊野神社境内には文殊堂や鐘楼、多数の仏像が残されているなど神仏習合の名残が随所に見られます。

又、本殿は熊野三山を模した配置が継承され、中央には当社の本殿である新宮証誠殿、向かって左側には末社である那智山飛龍権現の本殿、向かって右側には末社である本宮十二社権現の本殿が配されています。新宮証誠殿、那智山飛龍権現、本宮十二社権現の3棟は室町時代に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和42年(1967)に福島県指定重要文化財に指定されています。

本殿聖域を囲む透塀中心に設けられた中門は切妻、銅板葺、一間一戸、碗木門。新宮熊野神社長床は慶長16年(1611)の大地震後に旧材を再利用し拝殿として建てられた建物で、木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、桁行9間、張間4間、外壁は柱のみの吹き放し、大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。祭神:家都御子神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神。

境内背後の高台には「阿弥陀堂」と「一の堂」と呼ばれる地名、門前である新宮集落には「馬場小路」、「湯屋小路」、「神明通」などの俗称、記録には「北小路」、「本小路」、「高野町」、「禰宜町」などの旧地名があり当時の門前町の繁栄が窺えます。

新宮熊野神社文化財一覧 
長床-9間×4間、寄棟、茅葺、慶長16年に旧材を使用して再建-国指定
銅鉢−高さ28p,口径62.5p,高台径38p,暦応4年銘-国指定
新宮証誠殿-桁1間×梁2間、妻入向拝付、熊野造り、室町以降-福島県指定
那智山飛龍権現-桁1間×梁2間、妻入、向拝付、熊野造、室町以降-福島県指定
本宮十二社権現-桁1間×梁2間、妻入、向拝付、熊野造、室町以降-福島県指定
銅鐘-高さ128.9p、口径79.0p、貞和5年の銘-福島県指定
木造文殊菩薩騎獅像-高さ2.64m,平安末期から鎌倉初期作-福島県指定
熊野神社御神像-男神,女神の6体,平安末期から鎌倉初期作-福島県指定
銅製鰐口-直径52p,厚さ10.5p,康応2年銘-福島県指定
熊野山牛玉宝印版木・宝珠-縦23p.横43p.厚2.6p.文保2年-福島県指定
大般若経附経櫃六合(600巻)-建暦3年(1213)-福島県指定
大イチョウ−目通り7.8m,市内最大,神社創建時の植えられた-喜多方市指定
木造如意輪観音坐像-鎌末〜室初-寄木造,像高68p-喜多方市指定文化財
木造薬師如来坐像及木造十二神将立像(13躯)-平安後期-喜多方市指定
木造虚空蔵菩薩坐像-宝永4年再興-寄木造,像高68p-喜多方市指定文化財
熊野神社経筒-応永10年-高さ13p,口径4.6p-喜多方市指定文化財
木造相撲力士像(2躯)-一躯は伝運慶作,平安後期,桂材一木造-喜多方市指定
木造小動物像-鎌倉時代-寄木造,像高17.6p-喜多方市指定文化財
銅造阿弥陀如来立像-鎌倉-善光寺式阿弥陀如来,像高46.9p-喜多方市指定
木造狛犬-平安後期-シイノキ,一木造,阿形像38.0p,吽形像36.2p-喜多方市指定
鉄造阿弥陀如来及両脇侍坐像懸仏-南北朝-直径28.4p,厚1.0p-喜多方市指定
深沢古墳-喜多方市指定史跡
鈴-喜多方市指定文化財
絵馬−喜多方市指定有形民俗文化財

新宮熊野神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 東北地方の名城を歩く[南東北編]-株式会社吉川弘文館
・ 現地案内板-喜多方市教育委員会
・ 現地案内板-福島県教育委員会


新宮熊野神社:ストリートビュー

新宮熊野神社:長床・証誠殿・写真

新宮熊野神社境内正面に設けられた木製の大鳥居
[ 付近地図: 福島県喜多方市 ]・[ 喜多方市:観光 ]・[ 福島県:神社 ]
新宮熊野神社参道石畳みから見た長床とその前に置かれた石造狛犬 新宮熊野神社長床右斜め前方からの画像 新宮熊野神社参道石段越に見える本殿 新宮熊野神社中門越に見える本殿である新宮証誠殿
新宮熊野神社の末社である本宮十二社権現の本殿 新宮熊野神社末社である那智山飛龍権現の本殿 新宮熊野神社神仏習合の名残である文殊堂 新宮熊野神社境内に設けられている鐘楼
新宮熊野神社長床左斜め前方からの画像 新宮熊野神社長床内部の迫力のある柱と梁 新宮熊野神社鐘楼に吊り下げられた梵鐘 新宮熊野神社境内に生える大イチョウ


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「福島県:歴史・観光・見所」は「福島県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−福島県」、「日本の城下町−東北(二)」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。