西郷村(歴史)概要: 牛窪遺跡は縄文時代後期〜晩期の墓塚の跡で深鉢形の土器に遺体を入れ埋葬していた事が推察され25基が発見されています。入渕遺跡は奈良時代から平安時代の集落跡で竪穴式住居3棟分と建物1棟分、土器等が発見されています。
中世に入ると白川岩城氏の支配地域となり、家臣である斑目信濃守が在城した高助館や和知氏が在城した柏野館、舘岡入道が在城した入道山館、高萩安良川氏が在城した小館山館、南大膳が在城した南館など、中世の山城が点在しています。
江戸時代に入ると白河藩(藩庁:小峰城)の領内に組み込まれ、藩主松平定信は当地に遊覧で訪れ勝花亭で休息したそうです。
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