下郷町(大内宿・塔のへつり)概要: 下郷町は奈良時代の荘園制で「長江の荘」と呼ばれていました。鎌倉時代には日向五郎明光が地頭職となったとされ関連するとされる館跡も見られます。中世の下郷町を含む南会津郡一帯は田島の鴫山城を本拠とする長沼氏が支配します。戦国時代末期長沼氏が伊達氏に従属されると次々と領主が変わり寛永20年(1643)に幕府領となります。
又、江戸時代には会津若松と日光を結ぶ会津西街道(下野街道)が開削され、会津藩主だけでなく村上藩(新潟県村上市−村上城)や新発田藩(新潟県新発田市−新発田城)も参勤交代で使用し物資の運搬、日光東照宮への参拝者などで大いに賑ったとされます。会津西街道は下郷町を縦断するように敷設され、町内には楢原宿や倉谷宿、大内宿などの宿場町が開かれ本陣や旅籠などの建物で軒を連ねたとされます。
特に大内宿は現在でも旧街道の名残が濃く残っていて国重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。又、下郷町は御蔵入三十三観音霊場の札所となっている岳観音堂、小野観音堂、中ノ沢観音堂の3つの観音堂があり、特に中ノ沢観音堂は大同2年(807)に徳一上人が開山したと伝えられたという古い由緒を持ち、観音堂は推定で室町時代初期に建てられた阿弥陀堂建築として国指定重要文化財に指定されています。
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