|
|
喜多方市概要: 喜多方市の歴史は古く、糠塚古墳や輪具古墳などの古墳があり当時から開けていた地域で豪族などが支配していたことが分かります。鎌倉時代になると幕府の御家人だった三浦氏の一族佐原氏が会津4郡を与えられ喜多方市含む会津一帯を支配します。佐原氏は後に鶴ヶ城(会津若松城)を居城とする芦名氏を輩出し南奥羽を支配する大大名へと成長していきます。喜多方市では佐原氏一族の新宮六郎左衛門時連が建暦2年(1212)に新宮城を同じく五郎左衛門盛時(加納氏)が青山城を築き支配します。当初は同族同士だった事もあり友好的でしたが次第に独立した国人領主的存在となり争いが絶えない状態になり加納氏は応永九年(1402)に新宮氏に攻められ滅亡、続いて新宮氏の居城である新宮城も応永27年(1420)に芦名氏によって攻撃され落城しています。近世以降の喜多方市は米沢と会津城下を結ぶ米沢街道の宿場町として、多くの物資が集められ商業として発展していきます。米沢街道は豊臣秀吉や保科正之、伊達政宗、上杉景勝など多くの武将が通った街道で出羽三山詣でや円蔵寺柳津虚空蔵尊詣でなどで利用されました。商業の他にも良質の米と水が豊富だった事から醸造業が発展し酒をはじめ、味噌、醤油などが造られ、それら行う多くの土蔵の蔵が建てられました。土蔵は耐火性があるだけでなく外部の温度にも影響が少ない事から醸造業に適した建物で次第に座敷蔵など住居にも利用され、いつしか富の象徴のような存在となりました。喜多方市では蔵を建てる事が1人前の証といった風潮もあり次々に蔵が建てられ現在も2600棟もの蔵が軒を連ねています。
|
|
| 喜多方市・南町:町並み |
 |
 |
 |
 |
| 喜多方市・寺町:町並み |
 |
 |
 |
 |
| 喜多方市・寺町(裏通り):町並み |
 |
 |
 |
 |
|
|
|
|