喜多方市: 勝観音(勝福寺)

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概要・歴史・観光・見所

勝観音(勝福寺・喜多方市)概要: 松島山勝福寺は福島県喜多方市関柴町三津井字堂ノ上に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。勝福寺の創建は不詳ですが、観音堂に安置されてる不動明王立像と毘沙門天立像には弘安2年(1279)の銘がある事から少なくとも鎌倉時代中期頃には既に成立していた事が窺えます。

一方、伝説によると平安時代に「勝御前」と呼ばれる京都出身の身分の高い女性が景勝地として知られた松島(日本三景:宮城県松島町)に向かう途中、当地で重篤となり養生していたところ、村人達は「勝御前」を慰める為に松島を模した庭園を造園しました(山号:松島山の由来)。しかし、その甲斐もなく「勝御前」が亡くなると、知らせを聞いた中将が当地を訪れ勝御前の冥福と菩提を弔う為に勝観音堂を造営したのが始まりと伝えられています。

その後は長く当地を支配した芦名氏から篤く庇護され、享禄2年(1529)に火災により堂宇が焼失すると、永禄元年(1558)には第17代当主芦名盛興によって観音堂が再建され、永禄7年(1564)と芦名盛興と第16代当主芦名盛氏が梵鐘を寄進しています。

芦名氏は天正18年(1589)に摺上原の戦いで伊達政宗に敗れ常陸国(現在の茨城県)に逃れた為、庇護者を失い衰微しましたが、江戸時代初期の寛文5年(1665)に再興され、元禄元年(1688)に未完成だった観音堂が竣工しています。

現在の勝観音堂(本堂)は永禄元年(1558)に再建されたもので、木造平屋建て、寄棟、茅葺、妻入、桁行4間、張間3間、外壁は真壁造り板張り、内陣には本尊となる十一面観音像と脇侍である不動明王立像と毘沙門天立像が安置、室町時代後期の御堂建築の遺構として大変貴重な事から昭和57年(1982)に国指定重要文化財に指定されています。

木造毘沙門天立像は、弘安2年(1279)に制作されたもので、像高146cm、寄木造、彩色仕上げ、昭和28年(1953)に福島県指定重要文化財(彫刻)に指定されています。木造毘沙門天立像は、弘安2年(1279)に制作されたもので、像高155cm、寄木造、彩色仕上げ、昭和30年(1955)に福島県指定重要文化財(彫刻)に指定されています。

銅鐘は、永禄7年(1564)に鋳造されたもので、総高118cm、口径65cm、鋳師大工は早山主殿助並小工太郎左衛門、昭和30年(1955)に福島県指定重要文化財(工芸品)に指定されています。勝福寺仁王門は入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門、左右には像高8尺の仁王像が安置されています。

会津三十三観音霊場第六番札所(札所本尊:十一面観世音・御詠歌:陽照るとも 山の氷は よもとけじ 里に時雨の あらんかぎりは)。山号:松島山。宗派:真言宗豊山派。本尊:十一面観音。

勝観音:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-喜多方市教育委員会


勝観音:ストリートビュー

勝観音(勝福寺):写真

勝観音(勝福寺)
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