喜多方市: 飯豊山神社

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概要・歴史・観光・見所
飯豊山神社(喜多方市)概要: 飯豊山神社は福島県喜多方市山都町一ノ木字中在家乙に鎮座している神社で、飯豊山の山頂に鎮座している奥宮に対し、麓宮(里宮)とされます。飯豊山(標高:2105m)は現在の山形県と福島県、新潟県の県堺に聳える霊山で、古くから信仰の対象となり、古代人の素朴な自然崇拝が信仰の源泉になったと思われます。さらに時代が下がると祖霊信仰が加わり、死者は飯豊山の山頂に集まると信じられるようになり、山頂までの登拝が成年男子の通過儀礼となりました。飯豊山神社の創建は不詳ですが、伝承によると白雉3年(652)に修験道の開祖とされる役小角が飯豊山を登拝した際、一王子(味秬高彦根命)、二王子(下照姫命)、三王子(事代主命)、四王子(高照姫命)、五王子(三井命)の5柱を祭ったのが始まりとされます。

飯豊山神社はその後、衰微しましたが、室町時代末期の天文8年(1539)、芦名家15代当主芦名盛舜が山道を切り拓き、安土桃山時代の文禄4年(1595)に蒲生氏郷(鶴ヶ城の城主)が蓮華寺の僧侶である宥明和尚に命じて再興させ、飯豊山の山頂までの登拝道を整備しました。江戸時代に入ると会津藩歴代藩主からも崇敬庇護されました。特に江戸時代中期以降に庶民の行楽嗜好が高まると飯豊山を登拝する人々が増え、麓宮がある一ノ木村は宿場町的な役割を担いました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏教色が一掃され、五社権現から飯豊山神社に社号を改め県社に列しています。

麓宮から奥宮まで表参道として強い繋がりだった事から、明治時代に山頂全域が新潟県東蒲原郡実川村(現在の新潟県阿賀町)に一旦編入されると、麓宮が鎮座している一ノ木村が猛反発し、結果的に飯豊山神社奥宮の境内と参道だけは一ノ木村の地籍として決着しています。飯豊山神社は麓社から山頂まで一王子社、二王子社、三王子社、四王子社(奥宮)、五王子社の五社で構成され、それぞれ本地仏である虚空蔵菩薩坐像が祭られていましたが、現在は参拝が可能な麓宮(一王子社)と奥宮(四王子社 ※夏季のみ)に祭らており、名称「銅造五大虚空蔵菩薩坐像」として昭和31年(1956)に福島県指定重要文化財(彫刻)に指定されています。

社宝である絹本著色飯豊山山道絵図附桐箱一合は当時の飯豊山信仰の資料として貴重な事から平成22年(2010)に福島県重要文化財(歴史資料)に指定されています。銅造地蔵菩薩坐像(彫刻)と紺紙金泥法華経(典籍)、知行証文(古文書)、御沢の杉と栃(天然記念物)は平成18年(2006)に喜多方市指定重要文化財に指定されています。飯豊山神社麓宮(里宮)拝殿は、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。本殿は御神体が飯豊山自身の為に設けられていません。祭神:五社権現。

飯豊山神社:写真

飯豊山神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
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飯豊山神社拝殿正面とその前に置かれた石燈篭 飯豊山神社拝殿左斜め前方から見た画像 飯豊山神社土蔵越に見える拝殿側面の画像 飯豊山神社境内に設けられた土蔵
飯豊山神社に奉納された石燈篭 飯豊山神社境内に建立されている石碑 飯豊山神社石燈篭の亀趺 飯豊山神社手水鉢


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