会津新宮城跡(喜多方市)概要: 新宮城は福島県喜多方市慶徳町新宮に位置している中世の平城で、鎌倉時代初期の建暦2年(1212)に新宮時連によって築かれたのが始まりとされます。新宮時連は文治5年(1189)に発生した奥州合戦で大功を挙げ、陸奥国会津四郡を与えられた佐原義連の5男で2代目を就任した佐原盛連の6男で、当地に配された事から地名に因み「新宮」姓を名乗りました。
新宮氏は城の南西方向に鎮座している新宮熊野神社を篤く庇護し、南北朝時代の貞和5年(1349)には新宮明継が銅鐘(高さ132cm、口径78.cm、「奉冶鋳 奥州会津熊野山 新宮社之鏡一口」 「一山衆徒三十人 大旦那従満大姉 同地頭平朝臣明継 阿梨覚賢 結縁衆百余人 大工景政 貞和五年己丑七月廿一日」の銘、福島県指定重要文化財)を寄進しています。
その後、本家筋は芦名氏を名乗り広く南奥羽を席巻する大大名に発展、新宮氏は次第に独立性を高め度々芦名氏に対して対立する立場ととっています。応永27年(1420)、その芦名氏から攻められた事で、新宮城は落城、当時の城主新宮盛俊は越後国(現在の新潟県)に逃れ会津の地を去っています。
新宮城は本丸、二之丸、三之丸で構成され、規模は本丸は東西70間(126m)・南北82間(147m)、二之丸は東西220間・南北200間、外側には天然の谷を利用した外堀を配し、城域全体は東西約480m、南北約440mを誇ります。
城跡からは高麗象嵌青磁や象の青白磁など他には類例が少ない高級品が出土している事から新宮氏の財力と勢力の大きさが窺えます。城跡は現在でも堀や土塁などの遺構が明確に残され、戦国時代以前としては東北地方最大級の平城(居館)跡として大変貴重な事から平成21年(2009)に国指定史跡に指定されています。
会津新宮城跡:上空画像
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