塔寺宿(越後街道)概要: 塔寺宿(福島県会津坂下町)は越後街道(会津街道)の宿場町で、慶長16年(1611)の会津大地震により本来の街道筋が壊滅的な被害を受けて改めて開削された経路沿いあった事から宿場町として整備されました。
沼田街道(沼田城〜尾瀬沼〜鶴ヶ城)との分岐点でもあった為(正確的には分岐点は隣の気多宮宿ですが略隣あっているので一体として考えられていたようです)、多くの旅人や運搬業者などから利用され越後街道沿いにある他の宿場より比較的発達しました。
住民の収入は農作業と宿泊業(旅籠など)、運搬の手伝いなどで江戸時代後期には家屋が88軒が軒を連ねていました。又、名刹として知られる恵隆寺(立木観音)や心清水八幡神社の最寄の宿場町でもあり参拝者が利用し、嘉永5年(1852)には友人との約束を守る為、長州藩を脱藩し東北遊学した吉田松陰も塔寺宿で宿泊し心清水八幡神社を参拝たとされます。
恵隆寺(立木観音)・概要: 恵隆寺(立木観音)は欽明天皇元年(540)に青岩(中国出身の高僧)により開かれた古刹で、大同3年(808)に徳一大師が再興しています。本尊は徳一大師が彫刻したと伝わる高さ8.5mの日本でも最大級の十一面千手観音菩薩像で「立木観音」や「だきつき観音」、「ころり観音」などの別称があり信仰の対象となりました。十一面千手観音菩薩像、観音堂は十一面千手観音菩薩像、観音堂は国指定重要文化財に指定されなど寺宝も数多く所有しています。
心清水八幡神社・概要: 心清水八幡神社は天喜3年(1055)に前九年の役の際、当地まで進軍してきた源頼義、源義家親子が戦勝祈願する為に石清水八幡神社の分霊を勧請したのが起源とされる古社です。古くから河沼郡の総鎮守として広く信仰されてきましたが、江戸時代に入ると会津藩から会津大鎮守六社(諏方神社、伊佐須美神社、磐椅神社、蚕養国神社、心清水八幡神社、西村八幡宮)に選定され藩主松平家の崇敬社となり、社殿の造営や社領の寄進などが行われました。
越後街道:宿場町・再生リスト
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