米沢街道(会津街道)概要: 米沢街道(米沢市側からは会津街道と呼ばれていた。)は会津五街道の1つで現在の福島県会津若松市と山形県の米沢市を結ぶ街道です。参勤交代で利用する主要街道ではありませんでしたが、米沢と会津若松とは繋がりも深く人々や物資の往来も多かったそうです。歴史的な深さもあり、伊達政宗の会津侵攻や豊臣秀吉の奥州仕置きなどに利用され、上杉景勝が会津120万石から米沢30万石に減封され家臣を引き連れ下向し、初代会津藩主保科正之が山形藩(山形市−山形城)から会津に入部したのも米沢街道を通っています。文化的にも重要で出羽三山(山形県鶴ヶ城)詣でや柳津町にある円蔵寺(柳津虚空蔵尊)詣でなどの信仰の道でもありました。明治17年(1884)に大峠が開削されると次第に衰退し、明治21年(1888)の磐梯山噴火で檜原宿は湖底に沈没、現在の檜原峠は通行禁止となっています。
米沢街道の宿場町: 米沢は江戸時代上杉家30万石(後に15万石)の居城である米沢城の城下町として発展した町で、城下には上杉神社や上杉家廟所、法音寺、林泉寺、法泉寺、松岬神社など上杉家縁の史跡が点在しています。街道の城下町の出入り口付近に境内を構える笹野観音堂は米沢城の防衛拠点として篤く庇護され、藩費によって堂宇が造営されています。綱木宿は米沢街道の難所でもある桧原峠と綱木峠の間にある宿場町で旅籠4軒、問屋1間が設けられ、さらに米沢藩と会津藩の藩境に隣接する事から米沢藩の番所が設置されました。宿場の各家々は山の仕事をする傍ら背負子と呼ばれる物資の運搬の補佐を生業とし現在でも当時の宿場の雰囲気が残されています。檜原宿は逆に会津藩の検断役が設置された宿場で往時は米沢街道最大規模を誇りました。現在は磐梯山の噴火で水没しましたが、その前に移設された検断屋敷や、湖の湖面から見える鳥居などが見所になっています。熊倉宿は石高が高かった事から重要視され、代官所や本陣、問屋が設置され市場も開設されました。街道沿いには古民家も多く宿場らしい町並みが見られます。塩川宿は阿賀野川舟運の川港があった宿場で、物資の集積場となり経済的にも発展しました。会津は会津藩主松平家の居城である鶴ヶ城の城下町として発展した町で鶴ヶ城(国指定史跡)や御薬園(国指定名勝)、会津藩主松平家墓所(国指定史跡)などの松平家縁の史跡や飯盛山など白虎隊縁の史跡が点在し、戊辰戦争後に再建された近代建築が点在する町並みを見る事が出来ます。
米沢街道のルート
会津城下−塩川宿−熊倉宿−大塩宿−檜原宿−綱木宿−関町宿−米沢城下
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米沢街道の見所
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