二本松街道

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概要・歴史・観光・見所
二本松街道概要: 二本松街道(二本松市側からは会津街道と呼ばれていた。)は会津五街道の1つで鶴ヶ城(会津若松市)と奥州街道本宮宿(本宮市)を結ぶ街道です。特に猪苗代は鶴ヶ城(会津若松城)の支城である亀ヶ城(猪苗代城)の城下町で初代会津藩主保科正之を祀る土津神社があった為(廟域は国指定史跡)、時の藩主達が参拝に訪れる際利用されなど物資や人の往来が多かったそうです。猪苗代湖は対岸貿易も盛んでそれらの集落を結ぶ上街道と本道である下街道とに分かれていました。明治25年(1892)に新県道が開通した事により旧街道は衰退し、現在は猪苗代町周辺の道筋の保存状態の良い部分が猪苗代町指定史跡となっています。

二本松街道の宿場町: 鶴ヶ城は会津藩松平家の居城で、会津は鶴ヶ城(国指定史跡、日本名城100選)の城下町として発展した町です。戊辰戦争の際は戦場となり兵火により城下は大きな被害を受けましたが、飯盛山など戦争の史跡が点在しています。大寺宿は二本松街道の宿場町であると同時に慧日寺(国指定史跡)の門前町として発展しました。慧日寺は大同2年(807)、徳一大師によって開かれた名刹で古代から中世にかけて会津地方における仏教の中心地として寺運が隆盛しました。天正17年(1589)の伊達政宗による会津侵攻の兵火により堂宇が焼失し、庇護者だった芦名氏も常陸国に逃れた為に衰微しました。猪苗代は二本松街道の宿場町であると共に、鶴ヶ城の支城である猪苗代城の城下町として発展しました。通常一国一城令により、本城(会津藩では鶴ヶ城)以外は認められませんでしたが、会津藩は新藩で奥州、出羽を押える為に幕府からも重要視され支城が認められています。会津藩にとって猪苗代は初代会津藩主保科正之を祀る土津神社のお膝元であり歴代城主は墓守としての役割も担い、又、山深い会津領にとって猪苗代口だけが攻めやすい攻撃の対象になりうる場所でした。実際、戊辰戦争の際は二本松街道を利用して新政府軍が進軍し猪苗代城も突破されています。関脇宿は二本松藩との藩境に隣接していた事から重要視され会津藩の番所が設けられていました。中山宿は二本松藩領で難所の1つ楊枝峠を控えていた事から旅籠や茶屋が設けられ、本宮宿は奥州街道と二本松街道の分岐点として発展しました。又、二本松街道沿いには磐梯熱海温泉があり湯治場としても利用されていました。

二本松街道のルート
会津城下−大寺宿−猪苗代城下−関脇宿−中山宿−横川宿−苗代田宿−本宮宿

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土津神社
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