二本松藩

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二本松藩概要
二本松藩概要: 寛永4年(1627)、加藤嘉明の与力大名である松下重綱(嘉明の娘婿)が5万石で入封し二本松藩を立藩します。寛永5年(1628)、2代松下長綱三春藩(福島県三春町)に移封になると加藤明利(加藤嘉明の3男)が3万石で入封、明利の時代には検地により新田分が次々に明らかになり、その分が農民にとって重税になった為、苦しい生活が虐げられました。寛永18年(1641)明利が改易になると白河藩(福島県白河市)から丹羽光重が10万7百石で入封、以来、丹羽家が11代藩主を歴任し明治維新を迎えています(明利の改易理由は明確ではなく、その2年後、兄で会津藩の藩主である加藤明成も2年後に領地を幕府に返還し改易となっています)。戊辰戦争の際、10代丹羽長国は奥羽越列藩同盟に参加し為、新政府軍と激戦を重ね二本松少年隊を組織するなど抵抗しますが二本松城は落城し長国は米沢藩(山形県米沢市)に逃れています。その後、長国は新政府軍に降伏し米沢藩主でる上杉斉憲の子共である丹羽長裕を養嗣子とすることと5万石の削減で二本松藩の存続が認められます。
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二本松藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代松下重綱1627年5万石 
2代松下長綱1627〜1628年5万石 
初代加藤明利1628〜1641年3万石 
初代丹羽光重1643〜1679年10万7百石 
2代丹羽長次1679〜1698年10万7百石 
3代丹羽長之1698〜1700年10万7百石 
4代丹羽秀延1701〜1728年10万7百石 
5代丹羽高寛1728〜1745年10万7百石 
6代丹羽高庸1745〜1765年10万7百石 
7代丹羽長貴1766〜1796年10万7百石 
8代丹羽長祥1796〜1813年10万7百石 
9代丹羽長富1813〜1858年10万7百石 
10代丹羽長国1858〜1868年10万7百石 
11代丹羽長裕1868〜1871年5万7百石 

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