野尻宿(越後街道)概要: 野尻宿(福島県西会津町)は古くから阿賀野川舟運で栄えた町で、江戸時代に入ると越後街道(会津街道)の宿場町と、舟運の川港町として発展しました。会津藩の年貢米の内、京都、大坂方面に用立てる多くは阿賀野川舟運を利用して新潟まで運び、そこから日本海沿いを北前舟で運びました。
野尻宿はその中継地として一端陸揚げして役人の検査を受けてから、車峠を「中追」と呼ばれる馬輸送か人が荷物を背負って津川宿又は徳沢港まで運び、再び舟運により新潟港まで搬送しました。
これは徳沢港と野尻宿の間には「銚子の口」と呼ばれる難所があり舟運で利用する舟が通行出来なかった為で、上り便も下り便も必然的に野尻宿にある港が利用された事で新たに上野尻村が開村する程繁栄しました。会津藩も野尻宿を重要視し、郡役所を設置し管理させています。
明治11年(1878)にはイギリス人女性紀行家イザベラ・バードも野尻宿を訪れ著書である「日本奥地紀行」に「絵に見るような集落だった。」と好評を得ており、特に車峠の茶屋を気に入り、そこから見える会津の山々や風景を絶賛に2泊しています。現在も街道沿いには土蔵が点在し当時の繁栄の一端が窺えます。
西光寺・概要: 室町時代中期、光源和尚が開山した古刹で良然和尚が中興開山しています。戦国時代末期、鶴ヶ城の城主となった蒲生氏郷が篤く帰依し、本尊となる阿弥陀如来像を寄進しています。寺宝である紙本蒲生氏郷像は国指定重要文化財、境内に建立されている宝篋印塔は西会津町指定史跡に指定されています。
根析神社・概要: 下野尻村の鎮守で永仁2年(1294)に勧請されたのが始まりと伝えられています。寛永5年(1628)の車峠開削の際には、祭神である大天大明神が当時の安座村の肝煎二瓶七左衛門の霊夢に立ち無事に工事を完遂させたそうです。
越後街道:宿場町・再生リスト
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