津川宿:歴史・概要

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概要・歴史・観光・見所
津川宿(越後街道)概要: 津川(新潟県阿賀町)の地は古くからの交通の要衝で、阿賀野川と常浪川が合流する麒麟山(標高195m)は戦略上の拠点として重要視されました。戦端部の城山(標高140m)には津川城(新潟県指定史跡)が築かれ、3方を崖地で囲われ、幾重にも曲輪が設けられ天然の堅城として知られていました。元和元年(1615)に一国一城令が発令を受け、寛永4年(1627)に廃城となりましたが、津川宿には代官所が設けられ、引き続き当地域の行政の中心地として重要視されました。又、阿賀野川舟運の拠点で津川宿より上流にある「銚子の口」と呼ばれる難所があり舟運船では通行不能だった為、津川港で一端荷揚げされ、越後街道(会津街道)を陸路で野尻宿まで運び、そこから再び舟運で溯上する経路が確立されました。その為、津川宿には多くの物資が集められ、往時は150隻前後の帆掛け舟が発着、それらの荷物を荷揚げする要員が100名前後配され、港の沿岸には会津藩の船番所や御蔵、大商人の町屋が軒を連ね「越後街道三大宿」、「日本三大河港」などと称されました。津川宿は大きく上町、鉄砲町、仲町、港町、下田町、柿木町、弁天町、寺ノ前、上寺町があり宿場の入口部と中央部には枡形、宿場の中心である港町には代官所や本陣(駅問屋)が設けられています。又、現在のアーケードに類似する「雁木」発祥の地とされ(※形状は類似するものの、アーケードは公共地、「雁木」は私有地を開放しているという違いがあります)、案内板によると「慶長15年(1610)津川大火復興の際、津川城主・岡半兵衛重政により家々の玄関先の土間の部分にひさしをかけ、雁木がつくられました。私有地を公共のものとして利用する雁木は、雪の多いこの地域にとって昔から大切な生活通路となっています。津川では雁木を『とんぼ』と呼んでいます。」とあります。

津川宿
津川宿:町並み
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