薬師堂(恵日寺)概要: 慧日寺薬師堂は会津五薬師(勝常寺:国宝・慧日寺・上宇内薬師堂:国指定重要文化財・北山漆薬師・野寺薬師)の1つ東方薬師如来に称されて古くから信仰の対象となってきました。
創建年はわかりませんが「新編会津風土記」には観応元年(1350)に「大寺の薬師安座」と記されていることから、慧日寺の金堂に薬師如来が祀られていたと推測されます(創建は徳一大師、又は弘法大師空海が勧請したとも云われています)。金堂は寛永3年(1626)に消失し、その後に薬師堂が再建されます。
明治時代初頭に発令された神仏分離令で廃寺となり磐梯神社の管理となりましたが、明治5年(1872)と明治12年(1879)の火災により焼失しています。
現在の薬師堂は明治22年(1889)に再建されたもので、寄棟、銅板葺、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、明治時代の御堂建築の遺構として貴重な事から平成5年(1993)に磐梯町指定文化財に指定されています。
又、前面にある仁王門(寄棟、単層門、三間一戸)は江戸時代後期に建てられた慧日寺山門を移築したもので内部には江戸時代中期に制作された仁王像があります。仁王門は平面規模も大きく、当時の慧日寺の遺構を受け継ぐものとして薬師堂共に磐梯町指定文化財に指定されています。
会津五薬師(東方薬師如来)。会津十二薬師霊場第1番札所。
慧日寺薬師堂:上空画像
猪苗代町:神社・仏閣・再生リスト
八脚門を簡単に説明した動画
|