乗丹坊墓塔(猪苗代湖)概要: 案内板によると「この宝篋印塔は乗丹坊の墓と伝えられています。乗丹坊は慧日寺全盛期の衆徒頭で、平安時代末期には僧兵数千人を動員する勢力があったといわれています。養和元年(1181)6月平氏の命を受け、越後の豪族城氏と共に木曽義仲を追討するため、会津四郡の兵を率いて出陣しましたが、信州横田川原(現在の長野県篠ノ井付近)の合戦で敗れて討死しました。彼の死によって会津慧日寺の勢力は大きな打撃を受け、次第に衰退の一途をたどっていきます。この合戦のようすは「平家物語」などに見ることができます。この宝篋印塔は高さ2.7メートル、台石には美しい形の格狭間を表し、塔身の四面には薬研彫りによる梵字が刻まれ、笠はややゆがんでいるものの隅飾突起が直立に近く古い形式を残しています。全体として地方色が強く、中世後期に建てられた供養塔と思われます。 文化庁 磐梯町教育委員会 」とあります。乗丹坊墓塔は中世に建立された宝篋印塔の遺構として貴重な事から昭和53年(1978)に磐梯町指定文化財に指定されています(境内一帯は「慧日寺跡」として国指定史跡に指定されています)。
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