糸沢宿本陣(南会津町)概要: 阿久津家は糸沢宿の本陣役を務めた名家で、問屋や名主なども歴任し糸沢宿では大きな影響力を持ちました。会津西街道(下野街道)を参勤交代で利用した会津藩(蒲生秀行や加藤明成、保科正経)や村上藩(榊原式部大輔)、新発田藩(溝口信濃守)などの藩主が宿泊や休息で利用し規模や格式が高く、問屋場として多くの物資を取り扱っていた事から往時は主屋を取り囲むように6棟の土蔵があったそうです。現在の主屋は江戸時代末期に建てられたもので、木造平屋建、寄棟、金属板葺(元茅葺)、桁行16.5間、梁間9間、建築面積440u、数少ない会津西街道沿いの宿場町にある本陣建築の遺構として貴重な存在で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との理由から平成10年(1998)に国登録有形文化財に登録されています。敷地内に残された唯一の土蔵(米蔵)は安政6年(1859)に建てられたもので土蔵2階建、切妻、金属板葺、置屋根形式、平入、建築面積82u、主屋と同様に平成10年(1998)国登録有形文化財に登録されています。大内宿の本陣再建の際、当時の図面や写真等の資料が見つからなかった事から糸沢宿本陣を参考の一例としています。
糸沢宿本陣:上空画像
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