中三依宿(日光市)概要: 会津西街道の10番目の宿場町で、上三依、中三依、下三依の3地区からなり中三依が中心的な役割を担っています。宿場内には問屋が設けられ物資などが集積場ともなりましたが、江戸時代を通じて家屋が35軒程度で大きくは発展しませんでした。
主な産業は畑作で、副収入として脇宿や小宿と呼ばれる宿泊業や農耕馬で補助的な配送を行なう駄送業、内職として杓子製作、養蚕などで生計が成り立っていました。
宿場外れにある「南山通り上三依一里塚」は街道の両側に残る数少ない一里塚の遺構として貴重な事から昭和48年(1973)に日光市(旧藤原町)指定史跡に指定されています。
宿場には上、中、下と3箇所に水場が設けられていて、特に上の水場は上の清水、神の清水と呼ばれ水質の良い湧き水と云われています。
鎮守である示現神社の例大祭で奉納される関白流三依獅子舞(太夫、雄、雌の3匹の獅子が奉納の舞」「みより舞」「勇飛の舞」の三つの舞を奉納)は昭和55年(1980)に日光市(旧藤原町)指定無形民俗文化財に指定されています。
三依山寶蔵院の創建は元亀2年(1571)、興恵により開かれた真言宗豊山派の寺院で本山は奈良県長谷寺。現在の堂宇は大正5年(1916)の中三依大火で焼失後に再建されたもので本堂は寄棟、銅瓦棒葺、正面1間向拝、桁行6間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。
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