福永宿(福島県会津美里町)

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福永宿:概要 福永宿(福島県会津美里町)は会津西街道(下野街道)福永宿(会津西街道・宿場町)の宿場町で会津藩の本城である会津城(鶴ヶ城)の城下から見ると1番最初の宿駅に位置しています。江戸時代当初、会津西街道(下野街道)の前身となる街道では、福永宿よりさらに会津城下に近い本郷集落が宿場として機能していたとされます。本郷は中世の芦名氏時代に向羽黒山城が築城され、その城下町として人工や文化の集積が図られていた事から極自然に宿場町になったと思われますが、余りにも会津城(鶴ヶ城)に近く、水害の危険性があった事から、正保4年(1647)頃に会津西街道(下野街道)が正式に開削された時点では本郷宿は廃され、福永宿が宿場町として認められていたようです。集落的発生起源は不詳ですが、福永宿の鎮守である藤巻神社の境内には南北朝時代の阿弥陀一尊種子板碑(会津美里町指定文化財)と室町時代初期の阿弥陀三尊種子板碑(会津美里町指定文化財)が建立されている事から、室町時代には既に成立していた事が窺えます。藤巻神社が何時頃から信仰されていたのかは判りませんが、会津西街道(下野街道)が開削され、福永宿が宿場町として成立後の万治元年(1658)に山口勝右衛門が現在地に再興し鎮守として篤く信仰され、福永宿が最初の宿場町である事から多くの旅人が道中安全祈願が行われたと思われます(往時は多くの社領を領し、三重搭が建立されていたとされます)。境内社である古四王神社の由緒などは判りませんが、一般的な古四王神社は大和朝廷が日本海側の盤図を広げた過程に政治的な配慮から越王(大彦命)が勧請された神社が基になっています。その為、当時の越国北部である新潟県の北部から山形県、秋田県に集中しています(その後、俘囚から信仰の対象となり、福永宿(会津西街道・宿場町)俘囚長の安倍氏などが岩手県などに胡四王神社を創建しています)。会津地方にも大彦命が北陸地方を制圧した後に当地に達したとの伝承が残されており、当時の大和朝廷が当地に進出した際に古四王神社の信仰が発生し、当時の会津地方は越国の一部として考えられていたのかも知れません。福永宿の古四王神社がどのような経緯で祀られているのは判りませんが興味深いところです。

福永宿:町並み・写真
福永宿:町並み・写真

福永宿の町並みは同じく会津西街道(下野街道)の宿場町である大内宿で見られるような街道の両側に古民家が軒を連ねるよう景観が見られず、発展も限定的だったと思われます。明治時代に入り宿場制度が廃止され、近代交通網である会津三方道路の経路から外れた事で大きく衰微したと思われます。

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会津西街道(下野街道)・宿場町

会津城下
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福永宿
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関山宿
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大内宿
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倉谷宿
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楢原宿
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田島宿
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糸沢宿
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五十里宿
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高原新田宿
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藤原宿
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高徳宿
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