藤巻神社(会津美里町)

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福永宿(藤巻神社)
【 藤巻神社 】福永宿福島県会津美里町)の鎮守である藤巻神社が何時頃から祭られていたのかは判りませんが、創建当初は明神ヶ岳(標高1074m・会津美里町と柳津町の境)山頂に境内を構えていた事から、古代からの素朴な自然崇拝から発生した神社なのかも知れません。ただし、明神ヶ岳の山頂には伊佐須見神社が鎮座していたとされ、現在も伊佐須見神社(福島県会津美里町)の奥之院が祭られています。藤巻神社はその後、明神ヶ岳の麓に遷座し、中世は神仏習合の形態をとり、三重塔が造営され数多くの社僧を擁していたそうです。社運も隆盛し境内は3丁余と広大で永楽10貫の社領が安堵され、境内には数多くの社殿、堂宇が造営され、社領は12箇所に分散して領していました。しかし、天正年間(1573〜1592年)に蒲生氏郷が会津城(福島県会津若松市)の城主になると社領が認められなかった為衰微します。万治元年(1658)、藤巻神社の荒廃に憂いた山口勝右衛門が尽力して再興し小社を造営、さらに、寛文年間(1661〜1672年)に新たに会津藩主となった保科正之が前藩主時代の神社由緒の調査を命じ、結果、藤巻神社が古来からの名社である事が判明した事で、正之は服部安休郡司木村忠右衛門忠成(会津藩に仕える神道家、会津神社管領)を通じて神具などが寄進され、延宝2年(1674)には正之の命により社殿が造営されました。以後、会津藩主歴代の祈願所として崇敬庇護され例祭や、祈願の際には代官や奉行などが代参し初穂料等が寄進されました。明治5年(1872)に村社に列し、祭神として明玉命が祭られるようになっています。境内の大銀杏は万治元年(1658)に再興された際に植樹されたと推定される大木で推定樹齢300年以上、樹高32m、幹周5.6m、会津美里町指定天然記念物に指定されています。伝承によると、昔、子宝に恵まれない若い夫婦が藤巻神社で御百度参りで祈願すると見事念願成就して元気の良い男の子を授かり、妻の乳が出なくなると、藤巻神社の祭神の化身が夢枕に出現し大銀杏の垂れ下がる瘤を煎じて飲むと乳の出が良くなると告げ、御告げに従うと本当に良く乳が出るようになった事から何時しか「乳イチョウ」と呼ばれるようになったと伝えられています。又、境内には室町時代の阿弥陀一尊種子と阿弥陀三尊種子の2基の板碑が建立されて何れも会津美里町指定文化財に指定されています。
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