会津坂下町: 心清水八幡神社

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概要・歴史・観光・見所
心清水八幡神社(会津坂下町)概要: 心清水八幡神社は福島県河沼郡会津坂下町心清水八幡神社(会津坂下町)塔寺松原に鎮座している神社です。心清水八幡神社の創建は平安時代後期の天喜3年(1055)、源頼義、義家父子が前九年合戦の折りこの地を訪れ石清水八幡(旧男山八幡宮:京都府八幡市八幡高坊)を勧請し戦勝を祈願したのが始まりとされます。前九年合戦を平定し俘囚長だった安倍貞任に見事勝利した源義家は神意に感謝し天喜5年(1057)に社殿を建立し河沼郡の総鎮守と定めました。以来民衆だけでなく歴代領主からも崇敬され、中世は長く当地を支配した芦名家によって庇護され、至徳4年(1387)には芦名家の一族である入道性覚と初王丸が銅製鰐口を奉納しています。江戸時代に入ると会津藩主である松平家の崇敬社となり、特に初代藩主保科正之は神道に通じいていたことから神社制度を新たに設け、神仏混合を本来の神社の姿へ戻し、心清水八幡神社を会津大鎮守六社(諏方神社、伊佐須美神社磐椅神社蚕養国神社、心清水八幡神社、西村八幡宮)に定め、社殿の増改築などを藩費で賄うなど手厚く崇敬しました。天保11年(1840)に火災により社殿が粉塵に帰すと文久3年(1863)に最期の藩主となった松平容保は社殿を造営しています。翠山山頂に鎮座する本殿(三間社流造、銅板葺、正面3間向拝付、向拝、木鼻、妻壁、心清水八幡神社(会津坂下町)懸魚などに精緻な彫刻)はその時建てられた建物で会津藩が手掛けた最期の建物として歴史的にも貴重なもとされています。又、江戸時代末期の嘉永5年(1852)には吉田松陰(長州藩士、後に松下村塾の跡を継ぎ、その多くの門弟は幕末から明治維新にかけて大きな働きをしています。)が東北遊学の際、会津藩を訪れ藩校日新館の師範を勤めていた高津平蔵の紹介で心清水八幡神社を参拝に訪れ、社宝などを拝観させてもらっています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治6年(1873)に郷社、大正13年(1924)に県社に列しています。心清水八幡神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行10間、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。祭神は応神天皇、神宮皇后、比淘蜷_。

貞和6年(1350)から寛永12年(1635)に渡って書かれた「塔寺八幡宮長帳(枚数197枚、全長120mを8巻にしたもの)」と室町時代初期である至徳4年(1387)に制作された銅製鰐口(芦名氏一族の入道性覚と初王丸が奉納、直径61.8cm、重さ約75kg)が共に国指定重要文化財に応仁2年(1468)に製作された鉄鉢(高さ22cm、口径48.8cm)が福島県指定文化財にそれぞれ指定されています。

心清水八幡神社:写真

心清水八幡神社
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