白河神社概要: 白河神社は福島県白河市大字旗宿字関の森に鎮座している神社で、創建は成務5年(315)に白河国造の御霊である鹽伊乃自直命の分霊を勧請した事が始まりとされます。白河国は陸奥国白河郡、現在の福島県白河市、西白河郡、東白川郡、石川郡を凡その範囲とした律令制度以前に成立した国とされ、伝承通り白河国造である鹽伊乃自直命が祭られていたのであれば、当初は白河国の中心部に鎮座していたかも知れません。
律令制度が確立すると白河国は陸奥国に込みこまれ(一時、石背国が立国)中心が移り、白河の関が設置されると、関神として信仰されるようになり、宝亀2年(771)には天太玉命、中筒男命、衣通姫命などの分霊を勧請合祀したと伝えられています(時期は不詳ですが鹽伊乃自直命が祭られなくなっています)。
「新抄格勅符抄」の大同元年(806)の牒に記されている白河神や延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社白河神社を当社とする説がある一方で、三代実録で貞観8年(866)の条で陸奥国に鎮座していた鹿嶋神社という説や、式内社伊波止和気神社(福島県古殿町)という説もあり、実際、当白河神社の前身がどの様な神社だったのかは判明していません。
平安時代から鎌倉時代にかけては源氏の著名人の参拝祈願が続き、永承7年(1053)には源頼義、源義家、寿永3年(1184)には源義経、文治5年(1189)には源頼朝が奉献を行ったとされます。
歴代領主からも崇敬庇護され元和元年(1615)には伊達政宗により社殿が造営され、寛政12年(1800)には白河藩主松平定信によって境内が白河の関であることが結論付けられました。
古代の関所である白河関跡に鎮座していた事もあり江戸時代は二所関明神や関の明神と称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治2年(1869)に旧社号である白河神社に復し村社に列しています。
白河神社境内には源義経に縁のある矢立の松(現在は枯れ根株のみ)があり案内板によると「 治承4年(1180)、源義経が平家追討のため平泉を発し、この社前に戦勝を祈願、この松に矢を射立てたと伝えられる。現在は、少量の根株を残すのみである。 」とあります。
白河神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、伊達家の家紋である九曜紋が社紋として掲げられています。本殿は一間社流造、銅板葺き。白河神社境内一帯は極めて貴重な事から昭和41年(1966)に特別史跡名勝天然記念物に指定されています。祭神:天太玉命、中筒男命、依通姫命。
白河神社:上空画像
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