会津美里町: 田子薬師堂(常福院)

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概要・歴史・観光・見所

田子薬師堂(会津美里町)概要: 田子薬師堂の別当である医王山常福院は福島県大沼郡会津美里町新屋敷字山王塚に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。常福院の創建は鎌倉時代初期の建久8年(1197)、当地の実力者(地頭又は長者)だった田子十兵衛道宥によって開かれたのが始まりとされます。

当初は薬師寺と号し中島村にありましたが、室町時代初期の応永6年(1399)に現在地に境内を遷しています(風土記によると「モトハ此所ヨリ五町余り東北ニアリ」とある為、現在地より東五町(約500m)離れた中島村にあったと推察されています)。

現在の田子薬師堂は建久8年(1197)に田子十兵衛道宥が飛騨の内匠を招いて造営させたという伝承が伝わる一方、建築工法上は室町時代中期頃に建築されたと推定される建物で、木造平屋建て、入母屋(文献では度々宝形造と記されている為、入母屋から宝形造に改築された可能性が高い)、銅板葺き(旧こけら葺き)、平入、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造り板張り、柱は全て丸柱、建物内中央に設けられた来迎柱の内部には須弥壇が設けられ、そこに設置された厨子には本尊となる薬師如来像が安置されています(脇侍として日光菩薩像・月光菩薩像。さらに十二神将が安置されています)。

田子薬師堂(常福院薬師堂)は室町時代中期の御堂建築で、反りの大きい屋根や、軒の出が深い、扇垂木が一本のくさびで止めている、鏡天井、屋根裏を化粧仕上げ、唐様などの特徴がある御堂建築として大変貴重な建物である事から明治37年(1904)に国指定重要文化財に指定されています。

田子薬師堂本尊である木造田子薬師如来座像は奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗の高僧徳一大師が李の霊木から彫刻したとの伝承から「李の薬師」と呼ばれた古仏像で(会津鏡によると元禄10年:1697年3月23日に再興した際に祭ったとされます)、像高174cm、寄木造、金箔仕上げ、貴重な事から両脇侍立像(日光菩薩像、月光菩薩像)と共に昭和53年(1978)に会津美里町指定文化財(彫刻)に指定されています。

田子薬師堂木造十二神將像は貴重な事から平成15年(2003)に会津美里町指定文化財(彫刻)に指定されています。会津十二薬師霊場第八番札所。山号:医王山。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来。

田子薬師堂:上空画像

【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-会津美里町教育委員会


田子薬師堂:ストリートビュー

田子薬師堂:写真

田子薬師堂(常福院)参道から見た正面とその前に置かれた石造狛犬と石燈篭
[ 付近地図: 福島県大沼郡会津美里町 ]・[ 会津美里町 ]
田子薬師堂(常福院)境内正面に設けられた石造寺号標 田子薬師堂(常福院)参道と両脇の杉並木 田子薬師堂(常福院)は歴史が感じられる雰囲気が漂っています 田子薬師堂(常福院)正面アップ画像
田子薬師堂(常福院)右斜め前方からの画像 田子薬師堂(常福院)外壁正面の柱間に設けられた扉 田子薬師堂(常福院)外壁正面に掲げられた「薬師堂」の扁額と鰐口 田子薬師堂(常福院)の木組


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