会津薬師寺(会津美里町)概要: 医徳山薬師寺は福島県大沼郡会津美里町橋爪に境内を構えている天台宗の寺院です。薬師寺の創建は平安時代初期の宝亀10年(779)に開かれたのが始まりとされ、嘉祥元年(848)に高僧として知られた慈覚大師円仁により再興されています。
当初は千寿院と号していましたが、文治5年(1189)に発生した奥州合戦により奥州藤原氏が滅亡すると佐藤清純が高館(岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所)に祭られていた薬師如来像を当地に遷し、建久元年(1190)に円鑁沙門が薬師堂を造営した事を受け寺号を薬師寺に改めたとされます。
寛永17年(1640) に境内地である橋爪村から出火し、その大火事で類焼した事で大きな被害を受けましたが、嘉永3年(1850)に澄順和尚が再建を果たしています。
薬師堂背後の高台は「六角形経塚」と呼ばれ、案内板によると「 薬師寺境内にある経塚は、東北部は高く河岸に近い。南西部は高さ約2mある。上部は平坦で、一辺39mの正六角形で、他には見られない塚の形をしている。これは、仏教の六字名号をかたどり、寺の泰平穏を祈念して鬼門に設けらたと考えられる。経塚とは、後生安楽の御利益を求める信仰から、写経した経文を器や金属等の経筒に納入し、土中に埋めた所をいう。 会津高田教育委員会 」とあります。
薬師寺薬師堂は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には象と獅子、欄間には龍、蝦虹梁には松と鶴の精緻な彫刻が施され、正面中央には「医徳山」の山号額が掲げられています。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、四脚門。
東北三十六不動霊場第三十三番札所(札所本尊:高田不動尊・御詠歌:古きより会津の里に 名も高き 高田不動の 慈悲の御剣き)。会津十二薬師霊場第12番札所。会津七福神(札所本尊:大黒天)。全国唯一の自動車不動尊。宗派:天台宗。本尊:薬師如来。
会津薬師寺:上空画像
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