福生寺観音堂(富岡観音)概要: 福生寺は会津美里町大字冨川字冨岡甲に境内を構えている天台宗の寺院で、創建は不詳ですが文安3年(1446)の巡礼札があることから少なくと平安時代後期以前から信仰されていたと思われます。当初は妙福寺と称していましたが慶長10年(1605)、俊亮が再興した際、寺号を「福生寺」に改めています。
一方、富岡観音は次のような伝承が伝えられています。平安時代(延暦10年=791年とも)に冨岡村に住んでいた大口大領信満が最愛の奥方を病気で亡くした事から、その供養の為に華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積)に赴き、高さ七寸の観音像を彫刻してもらいました。その観音像を冨岡村に持ち帰ろうとしたところ、突如として七尺の大きな仏像に変化しとても一人では持ち運べなかった事から、頂上仏と御尊顔だけを村に持ち帰り、地元で体の部分を彫刻させたと伝えられています。
又、華厳寺の由緒によると延暦17年(798)に奥州黒川郷富岡の役人である大口大領が京都の文殊大士を訊ね十一面観音像を彫刻してもらい、富岡村に帰ろうとしたところ谷汲で急に像が重くなり動けなくなった事から聖地と悟り、谷汲で厳しい修行を行っていた豊然上人と相談し華厳寺を開創し本尊として安置したと伝えられています。
富岡観音は特に女性からの信仰があつかったとされ巡拝が盛んに行われ会津三十三観音霊場の第二十六番札所としても広く信仰を広めてきました。本尊の木造十一面観音菩薩坐像は富岡観音と呼ばれ室町時代(伝承では運慶作)に彫られたと言われています。像高2.25メートル、寄木造り、保存状態が良く意匠的にも優れ貴重な事から昭和50年(1975)に会津美里町指定文化財に指定されています。
富岡観音の本堂である観音堂は室町時代の造営された建物と推定されるもので木造平屋建て、三間四面の宝形造り、銅板葺きで正面には1間の向拝付、外壁は真壁造板張り、向拝木鼻には獅子と象、虹梁、手挟みには植物の彫刻、内部には厨子が設置され本尊が安置されています。
木鼻や組物などに特徴があり禅宗様を伝える御堂建築の遺構として大変貴重な事から昭和54年(1979)に国指定重要文化財に指定されています。
福生寺山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、左右には仁王像が安置し正面には大草鞋が掲げられています。会津三十三観音霊場第26番札所(札所本尊:十一面観世音・御詠歌:朝ぼらけ 賑わう里に立つ煙 誠の人を 止むる富岡)。龍興寺の末寺。山号:日用山。宗派:天台宗。本尊:十一面観音菩薩。
福生寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-会津美里町教育委員会
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