高田観音堂(天王寺)概要: 高田観音堂は福島県大沼郡会津美里町字高田甲に境内を構えている御堂です。現在の観音堂は明治23年(1892)に造営されたもので、木造平屋建て、宝形造、鉄板葺き、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は度重なる火災を経験に塗屋造り、白漆喰仕上げ(石積み風目地)、向拝には龍や獅子などの精緻な彫刻、正面には花頭窓付、内部には人肌観音(体温があるとされます)の別称がある本尊十一面観音像が安置され、外部正面には「高田山」の山号額が掲げられています。
高田観音の別当寺院である高田山観音院天王寺の創建は平安時代の元慶2年(883)、光孝天皇(第58代天皇・在位:元慶8年884年〜仁和3年887年)の皇子とされる観裕和尚が行基菩薩が彫刻したと伝わる十一面観音像を笈に納めて当地を訪れた際、聖地と悟り一宇を設けたのが始まりとされます。
最盛期には寺運が隆盛し境内には七堂伽藍が立ち並び数十の坊舎も軒を連ねていましたがその後衰微し、江戸時代初期の寛永13年(1639)に近隣に移りました。戊辰戦争(会津戦争)の兵火により再び堂宇が焼失し、明治22年(1889)に現在地に境内を遷し再興されています。本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。
会津三十三観音霊場第28番札所(札所本尊:十一面観音菩薩・御詠歌:昔より 立つとも知らぬ天王寺 奥の細道轟の橋)。山号:高田山。院号:観音院。宗派:天台宗。
高田観音:上空画像
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