白河街道: 赤津宿

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概要・歴史・観光・見所
赤津宿(郡山市)概要: 赤津は中世、鎌倉幕府御家人の工藤祐経の支配地で戦国時代には後裔の栗森備中が支配していましたが、伊東弾正の侵攻により滅ぼされます。元亀2年(1571)、弾正は自らの居城である鞍馬城を築き、ここを拠点にして周辺地域を掌握し当初「赤須」と呼ばれていた地を「赤津」に改め赤津弾正を名乗っています。天正17年(1589)、伊達政宗の会津侵攻により芦名氏に従った赤津氏も没落し、鞍馬城は廃城、赤津家も菩提寺である長福寺の境内に長い眠りについています。愛宕神社は赤津弾正が天正年間(1573〜1593年)、城下の火伏を祈願する為に勧請したもので境内のサワラは推定樹齢400年、樹高30m、「愛宕神社のサワラ」として平成3年(1991)に郡山市指定天然記念物に指定されています。江戸時代に入り白河街道が開削されると黒森峠を控え秋山港に近い交通の要所だった事から宿場町として整備されています。秋山港は赤津宿の外港で猪苗代湖の舟運の拠点でしたが、度々福良宿に直接荷物が運ばれるようになり宿場間で対立があり会津藩に訴えています。山際には会津藩が経営した東岐製鉄所があり会津藩が新政府軍に降伏するまで作業が続けられたとも云われ重要視されていたと思われます。享和2年(1802)旧暦6月25日には日本全国を測量した伊能忠敬も赤津宿を訪れ名主である吉田新右衛門家で宿泊しています。

赤津宿
赤津宿:町並み
赤津宿:町並み
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