長谷観音堂(二本松市)概要: 長谷観音堂は福島県二本松市油井字桑原館山に境内を構えています。長谷観音は日本三大観音(一般的に日本三大観音は浅草観音・大須観音・津観音、日本三大長谷観音は大和・鎌倉・古河・赤田)の一つに数えられる十一面観音像(像高150p、1本木造り、制作年:奈良時代、昭和53年:1978年に二本松市指定文化財に指定)です。
古くは聖武天皇の時代、都に疫病が流行りその鎮護の為、3体の十一面観音が彫りこまれ、鎌倉の長谷寺、泊瀬の長谷寺に納め、最期の一体が小野田家の持仏となったそうです。小野田家は源頼朝の家臣として鎌倉時代初期の文治5年(1189)に発生した奥州合戦に従軍し功をなし安達郷を賜り安達氏に姓を改め、領内北方の守護として長谷堂を建立して十一面観音を本尊としました。
しかし、時代が下がるにつれ次第に荒廃し、戦乱なども相次いだ為、周囲からも忘れられていました。江戸時代初期の寛永20年(1643)に二本松藩(藩庁:二本松城)の藩主になった丹羽氏は新たに寺領の寄進と堂宇の再建を行い自らの祈願所として廃藩置県で二本松藩が廃藩になるまで庇護しました。
現在の長谷観音堂は江戸時代中期の宝暦2年(1752)に建てられた古建築物で三間四面、宝形造、桟瓦葺き、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り(正面半間分吹き放し)、古い形式を継承するもので、観音堂の床下には十一面観音が霊力により湧き出る「御身垂水」が湧出し万病に効くと伝えられています。
安達三十三観音霊場第16番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:心おも 磨けばついに 曇りなく 石も鏡に なるは長谷寺)。
長谷観音堂:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-安達町町教育委員会
・ 現地案内板(霊水湧出地)-長谷寺
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