旧二本松藩戒石銘碑概要: 旧二本松藩戒石銘碑は藩士が二本松城に登城する際に戒めとするため寛延2年(1749)当時の藩主丹羽高寛が建立したものです。書は藩儒学者の岩井田昨非で「 爾 俸 爾 禄 民 膏 民 脂 下 民 易 虐 上 天 難 欺 」と刻まれていて「 なんじの俸、なんじの禄は、民の膏、民の脂なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し。」と読んで「あなたが与えられている俸禄(給料)は、民が汗や油を流してつくり上げたものです。その民を虐げるのは簡単ですが、全ての行為は神様はが見ていて欺く事は出来ません。」という意味だそうです。戒石の大きさは縦103p、横182pで露出する石自体の大きさは長さ8.5m、幅5mの巨大なものです。旧二本松藩戒石銘碑は江戸時代の武士の教育を伝える遺構として大変貴重な事から昭和10年(1935)に国指定史跡に指定されています。
【 参考:サイト 】
・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 日本の城下町2[東北(二)]-株式会社ぎょうせい
・ 日本史跡大辞典1-株式会社日本図書センター
・ 現地案内板-二本松市
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