糸沢宿本陣(南会津町)

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糸沢宿(会津西街道・本陣)
【 糸沢宿本陣 】糸沢宿福島県南会津町)の本陣職を勤めた阿久津家は宿場の問屋職や名主を歴任した事から問屋本陣とも呼ばれ豪商、豪農、地主としての一面があり、往時は敷地内に6棟の土蔵が軒を連ねていたそうです。大内宿本陣がどのような敷地だったのかは判りませんが、現在のものと比べると、糸沢宿の本陣の方が敷地が広大で、街道からはかなり奥まった場所に主屋が設けられている事が判ります。江戸時代初期は会津西街道(下野街道)が参勤交代の経路として利用され、会津城下(福島県会津若松市)から糸沢宿まで約12里半(1里約3.9キロと換算すると48.75キロ)とギリギリ1日の行程範囲内だった事から、早朝早く出立した藩主一行は糸沢宿本陣で宿泊しました。「糸沢村宿駅勤方書上」によると会津藩の藩主である蒲生秀行加藤明成保科正経が宿泊し、新発田藩(新潟県新発田市)の藩主溝口信濃守、村上藩(新潟県村上市)の藩主榊原式部大輔が本陣とした事が記載されており、1日の行程距離や、背後に難所となる山王峠が控えていた事などが宿所になった理由と思われます。詳細は不詳ですが、江戸時代末期の会津戊辰戊辰戦争の際には旧幕府軍(会津軍)、新政府軍の双方が糸沢宿に着陣している事から、体長クラスの人物が本陣を利用していたのかも知れません。現在の主屋は江戸時代末期の建築で木造平屋建、寄棟、鉄板葺、平入、桁行16間半、梁間9間、建築面積440u、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、唯一残された土蔵は安政6年(1859)の建築で土蔵2階建、切妻、金属板葺、置屋根形式、平入、建築面積82u、阿久津家住宅主屋、土蔵は会津西街道(下野街道)で残る数少ない本陣建築の遺構として貴重な存在で「国土の歴史的景観に寄与しているもの 」との登録基準を満たしている事から平成10年(1998)国登録有形文化財に登録されています。大内宿の本陣を復元する際には糸沢宿の本陣と川島宿(福島県南会津町)の本陣を参考にしたとされ、古写真を見ると、現在の大内宿本陣と同様に茅葺屋根で、式台付の玄関の上には入母屋の玄関屋根が設けられていたのが判ります。又、糸沢宿の本陣の一部が会津若松市の料亭の建物として移築利用されているそうです。
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