北山薬師堂(北塩原村)概要: 北山薬師堂は福島県耶麻郡北塩原村大字北山字寺ノ前に境内を構えいる御堂で「峯の薬師」や漆の産地で漆を生業とした人達が信仰した事かた「北山漆薬師」の別称があります。
北山薬師堂の創建は平安時代初期の弘仁年間(810〜823年)、弘法大師空海(真言宗の開祖)が嵯峨天皇(第52代天皇・在位:大同4年:809年〜弘仁14年:823年)の勅命を受け会津地方を訪れた際、自ら5躯の薬師如来像を彫刻し、会津盆地の中央(勝常寺:福島県湯川村)・東方(慧日寺:福島県磐梯町)・西方(上宇内薬師堂:福島県会津坂下町)・北方(北山薬師:福島県北塩原村)・南方(野寺薬師:福島県会津若松市)の五方に安置したのが始まりと伝えられています。
別説では大同元年(806)に磐梯山が大噴火を起こし、それが原因で会津地方には大きな厄災が頻発した為、徳一大師は安寧を願い5躯の薬師如来像を彫刻し五方に安置したのが始まりと伝えられています。
慶長年間(1596〜1615年)、当時の鶴ヶ城の城主である蒲生秀行が領内視察の為当地を訪れ、大正寺を宿所(本陣)として利用した際、病弱だった嫡男亀千代丸(蒲生忠郷)の事を時の住職に相談したところ、奥之院である北山漆薬師が霊験あらたかで御利益がある事を話されました。
秀行は早速、奥方である辰姫(徳川家康の3女)と亀千代丸を大正寺に遣わし、北山薬師堂で7日間病気平癒の護摩祈祷を行ったところ不思議と健康が回復しました。辰姫は感謝の意から大正寺に薬師三尊像を寄進、以来、大正寺の本尊は里の薬師、奥之院(北山薬師堂)の本尊は峯の薬師と呼ばれるようになったと云われています。
又、亀千代丸が当時2歳だった事から現在伝わる「二つ児参り」起源、由来になったとされます(もう一つの別当寺院である松音寺も略同様な伝承が伝えられています)。
北山薬師堂は江戸時代末期の文久2年(1862)に発生した火災で焼失後に再建されたもので、木造平屋建て、宝形造、鉄板葺き、桁行4間、張間4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には獅子、蝦虹梁の左右上部には力士像の彫刻が施され、外壁には「薬師」の扁額と「絵馬」が掲げられています。
会津五薬師(北方薬師如来)。会津十二薬師霊場第2番札所。宗派:天台宗。本尊:北山漆薬師如来。
北山薬師堂:上空画像
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