安積国造神社(郡山市)概要: 安積国造神社は福島県郡山市清水台1丁目に鎮座している神社で、創建は成務天皇5年(135)に安積国(現在の郡山市・安達郡・田村郡が領域と推定される古代国。)を建国時に国造だった比止禰命(天湯津彦命10世孫)が国家安泰を祈願する為、和久産巣日神と天湯津彦命を勧請し赤木山に社殿を造営した事が始まりとされます。
比止禰命が死去すると祭神として合祀され、子孫は安積氏を名乗り神官を歴任しています。平安時代初期の延暦19年(800)、坂上田村麻呂(征夷大将軍、鎮守府将軍)が東夷東征で当地まで進軍した際、安積国造神社で戦勝祈願を行うと、宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐)の分霊を勧請し、旗と弓矢を寄進しています。
平安時代後期の永承元年(1046)、源頼義、義家父子が前九年合戦を平定する為当地まで進軍した際、安積国造神社で戦勝祈願を行い、これが地名「幕内」の由来になったとされ、寛治元年(1087)の後三年の役の折には源義家が社領を寄進しています。
安積国造神社はその後、郡山総鎮守として歴代領主からも崇敬され、社領や様々な奉納物を寄進されています。明治5年(1872)に赤木山から現在地である清水台に遷座し当地に鎮座していた八幡宮(延暦19年:800年、坂上田村麻呂が宇佐八幡大神の分霊を国造神社境内に勧請、天和3年:1683年に現在地に遷座)、稲荷神社(中世の安積領主伊東家の鎮守社、天和3年:1683年に現在地に遷座)と合祀し社号を「安積国造神社」に改め、明治32年(1899)に県社に列しました。
現在の安積国造神社社殿は文化7年(1810)に造営された古建築で、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、張間2間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は大正15年(1926)に造営されたもので三間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り、浜縁、高欄、向拝付き、古社の雰囲気を感じさせます。
神楽殿は明治43年(1910)に造営されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、外壁は正面三方が柱のみの吹き放し、正面には巨大なお多福面が掲げられ秋の例祭である9月28・29日には神楽が奉納されます。
安積国造神社の社宝である「艮斎自筆門人帳」(安積国造神社の神主家出身の安積艮斎は幕府の最高学府である昌平坂学問所の教授を務め、幕末、明治維新で活躍した小栗上野介・吉田松陰・高杉晋作・岩崎弥太郎などに大きな影響を与えました。)は名称「安積艮斎関係資料」として平成21年(2009)、福島県指定重要文化財に指定されています。 祭神は和久産巣日神、天湯津彦命、比止禰命、誉田別命、倉稲魂命。
安積国造神社:上空画像
|