郡山市: 宇奈己呂和気神社

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概要・歴史・観光・見所
宇奈己呂和気神社(郡山市)概要: 宇奈己呂和気神社は福島県郡山市三穂田町八幡上ノ台に鎮座している神社で、創建は不詳ですが、伝承によると欽明天皇11年(550)、高幡山山頂に瀬織津比売命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。延暦元年(782)、鎮守府将軍大伴家持が東夷東征で当社を訪れ戦勝祈願したところ見事念願成就し蝦夷地を平定することが出来、感謝の意から延暦3年(784)現在地に遷座し社殿を造営すると八幡神の分霊を勧請合祀しました。格式が高く、平安時代に編纂された記録書である「続日本後紀」によると承和14年(847)に従五位下、「類聚国史」によると貞観11年(869)に正五位下に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され安積三十三郷の総社と格付けされました。

歴代領主や為政者からも崇敬され源義家が奥州征伐の際、山頂に軍旗を掲げ戦勝祈願に訪れ、鎌倉時代に入ると安積郡の地頭として当地に赴任した工藤祐経は旧領の鎮守だった三嶋大社(静岡県三島市大宮町)、伊豆山神社(静岡県熱海市伊豆山)、箱根神社(神奈川県足柄下郡箱根町元箱根)の分霊を境内に勧請し末社としました。第2代鎌倉公方・足利氏満の4男足利満貞が応永6年(1399)陸奥国岩瀬郡稲村(現福島県須賀川市)に下向すると稲村御所(稲村公方)と呼ばれ、宇奈己呂和気神社を崇敬社として篤く庇護し、応永9年(1402)には社殿と境内の整備を行い、家臣である大原康信を神官に任命しています。応永31年(1424)に満貞が鎌倉に戻ると、工藤祐経の次男祐長の後継である安積郡の伊東氏の崇敬社となり、戦国時代には伊東高行が社領200石を安堵しています。伊東氏が没落した後は会津黒川城(後の鶴ヶ城)の城主芦名氏が庇護し、天正18年(1590)に鶴ヶ城に入った蒲生氏郷も社領200石を安堵、慶長3年(1598)に鶴ヶ城に入った上杉景勝は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い前に戦勝祈願を行っています。江戸時代に入ると二本松藩(藩庁:二本松城)の庇護となり社殿には藩主丹羽家の定紋が掲げられています。宇奈己呂和気神社は古くから神仏習合し八幡山護國寺が別当寺院として祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令で仏教色が一掃され、明治15年(1882)に郷社に列しています。

宇奈己呂和気神社の境内は広く、正面にある石造の鳥居もかなり大きく信仰の厚さが伝わってきます。拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行き6間、梁間4間、正面1間唐破風向拝付き、華美な装飾がなく落ち着いた雰囲気があります。本殿は覆屋に囲まれていた為、詳細は解りませんが、三間社流造、檜皮葺でかなり歴史がある建物のようです。祭神:瀬織津姫命。配祀神:譽田別命。

宇奈己呂和気神社:写真

宇奈己呂和気神社
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