旧郡山尋常小学校(金透記念館)概要: 旧郡山尋常小学校(木造2階建、寄棟、桟瓦葺、平入)は明治8年(1875)に建てられた擬洋風建築で明治9年(1876)に明治天皇東北御巡幸に随行し当地を訪れていた木戸孝允によって「金透学校」(朱子語録:陽気發處金石亦透、 精神一到何事不成、から)と名付けられました。
前年に完成した開成館と設計、棟梁、時代背景が類似していた為、雪国なのに長いバルコニーを設けるなど似たような要素が多いと言えます。又、当時の学校建築の特徴である玄関ポーチ上部のベランダや手摺、丸柱などが採用され、その後建てられた旧福島県尋常中学校と同様な多角形やバージボードなどもみられます。
現在は前面のファサードのみ昭和53年(1978)移築保存され金透記念館(福島県郡山市堂前町)となっています。設計は増子儀三郎。施工は宗形彦八、今泉久三郎。旧郡山尋常小学校(金透記念館)は安積原野を開拓した大久保利通と関係が深い事から平成28年(2016)に名称「未来を拓いた「一本の水路」−大久保利通"最期の夢"と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代−」の構成文化財として日本遺産に登録されています。
金透記念館:上空画像
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